後日気がつき、電話をしましたら母親の具合が少し悪く、発熱があるとの事でした
もし、父なら私は心配で飛んで京都まで帰ったでしょう
でも、今回は帰る気持ちや母親のそばに行きたいという気持ちが湧きません
私は、母親からは一辺の愛情も言葉も態度も受けず育っています
高校生の時、学校で高熱が出て早退
何とか自宅に辿り着き、部屋で休もうと思いましたら、
何しに学校をサボって帰って来てるんや!
と母親の罵声
熱が出たから帰って来た
と、やっと伝えましたら、芝居するな
と怒鳴られた…
場面が思い浮かびます
私は多分、心配して欲しかったかも知れません
でも、看病をしてもらった記憶が無く
幼稚園の時も病気で高熱が出ても、自宅には母も居なくて、お水ばかりを飲んでいた記憶しかありません
この先母親に何かありましても、多分私は行動しません
全ては、母親に大切に育ててもらった兄にお任せをしています
よく、生んでもらった恩があると言われますが
私は母親に対しましては、恩が分からない
私は父からは十分過ぎる愛情を受けて育ちました
それに嫉妬をし、死ぬより辛い食べ物を与えないという虐待を母から受けて育っています
虐待で受けました心の傷は、こんな大人になった今でも深く残っているのです
ただ、それに関しましては恨み等の感情は無く
母親に対しては無関心なだけかも知れません
愛情は本当に大切です
人は、受けました恩や愛は忘れません
愛や恩を人から受けた方は、また人に愛や恩を渡します
私の母親は病的にわがままでしたから、幼少期から父母にチヤホヤされ、甘やかされ何でもいう事を聞いてもらい育ちました
ですからお料理はもちろん、家計も全く出来ず
食器も絶対洗いませんでした
どうして私が尊敬する父が、母親を妻に選んだのが本当に謎でした
でも、私はこの母親のお陰で我が子には深い愛を持ち、育てる事が出来ました
我が子が病気の時は、出来るだけ看病をし
消化の良い食事を作り与え、そばにいました
(当たり前ですね)
夫には従い、夫はお台所へは立ち入れず、お料理は全て私が作りました
私は反面教師を持ち育ったのですね
ただ、幼少期からの栄養失調が原因で、基本的に私は体は弱かったです
人は色々な体験や感情を持ち人生を歩んでいます
その人生も折り返しの今、私は今までの経験や体験を土台とし今があります
人を恨むと、自分が苦しくしんどいだけだという事も分かりました
ひがんだ心を持つと、自分が一人ぼっちになる事も分かりました
これは全て母親のお陰なのです
今はそう、認識出来ています