当時、私達家族は京都の伏見区下鳥羽に住んでおりました
地震が発生しました日、住んでおりました築年数がまだ浅かったマンションは地震の為亀裂が四本も入り、住民の皆様は私達を含め、本当に驚きました。
まだ七歳だった長男は、お父さん壁を蹴ったの?と言いながら起きてきたり、お祀りしていたお榊が棚から落ちたりし、大変でした
揺れが止まってから直ぐにテレビをつけますと、神戸が大変な事にと、報道され始めていました
…
震災の後に神戸に引っ越した私達は、まだ地震の爪痕が深く残っており、地震の日、住んでいたマンションが傾き、ドアが開かなかったお話や、タクシーの運転手さんが、自宅が倒壊し、下半身が柱に挟まれ身動きが取れないのに近くで火事が発生し焼け死ぬ寸前で助け出されたお話等を聞かせて頂いたり、暫くは胸が痛くなる事ばかりでした。
町や道路がまだ歪んだ所が残った神戸の町は、全てが泣いている様でした。
今ではすっかり見違えった神戸の町
でも、地震の教訓は忘れる事無く子供達にも伝え残したいですね。
地震後
マンションや自宅のドアが開かなかったらどうするか?
靴やコンタクトレンズが見つからなかったらどうするか?
いつ、何が起きても出来るだけ対処出来る様、定期的にご家族で話し合われると良いですね
震災後、神戸の町は毎年追悼式を行います。私達家族も神戸在住中は、毎年式に参列させて頂いていました
今では名古屋からテレビで拝見しております。
地震が起きましても、誰も命を失わないでいて欲しい
今は、そう願う事しか出来ないですが
いつか私も何かのお役に立てられる人になりたいです
この日が来る度に私はそう思います