私には48才年上の叔母がいました
叔母は私の母の姉です 戦争中 大変な苦労をし 女手一つで娘を三人育て上げました
その叔母が亡くなりました
肺炎だったそうです…
手を握る事も さよならを伝える事も出来ず 叔母は 私の前からいなくなってしまいました
奈々に初めて靴をプレゼントして下さったのはこの叔母です
赤い柔らかな靴でした
でも 奈々が可愛い盛りの13年前 脳梗塞を発症 その後遺症で 意志を伝える事の出来ない寝たきりとなりました
叔母の娘さん二人が 毎週病院へ看護に出かけ 優しく接してもらい 叔母の最後は幸せな人生であったと思います
生前 私が作ってあげた パールビーズの指輪を いつも大切にはめてくれていたそうです
でも ある日 叔母は病院のお風呂の脱衣場でその指輪を無くしてしまい 大変悲しんでいたと後で聞かされ、私は胸が痛くなりました
苦労ばかりの人生だった叔母
でも 最後は優しい娘に見守られ 静かに息を引き取りました
私の事を いつも心配して下さって 私の子供を 我が孫のように大事に思って下さって 私は叔母様が大好きでした
九美ちゃん いつもありがとう
無理したらあかんよ
そう大阪弁で いつも声をかけて頂いてました
今夜は 私が叔母様にお声をかけますね
叔母様
本当に長い間 ご苦労様でした 叔母様の歩まれた人生の中で
お辛い時期もかなりありましたね
でも いつも笑っておられましたね
私はそんな叔母様が好きでした
叔母様が歩けなくなり始め どうしても最後に温泉に連れて行ってあげたくなり
無理に行ってしまいましたね
温泉に浸かった叔母のあの時の嬉しそうなお顔は忘れません
私を大切に想って下さり ありがとうございました
いつも 私のお話を親身になって聞いて下さり ありがとうございました
どうか安らかに
お休み下さい