意識指数は霊的成長の証と申しましたけれど、もしかしたら先に数字だけ上がるということもあるのかもしれません。

 

 ツアー中一時的に意識が下がった人達を見ていて、「もしかしたらこれが本来の姿なのかも。これまでがたまたま森先生との関係性の中で上がっていただけなのかもしれない・・・」と思ったことがありました。つまり、今後お客様と森先生との関係が何かの原因で切れてしまうようなことが仮にあったとしたら、おそらくそのレベルまで意識レベルは落ちてしまうだろう、ということです。

 

 それはどういうことかというと―――、

 

 森先生と出会い、そのつながりを維持しようとするということは、ご自身の問題にちゃんと取り組む姿勢、つまり意識的に霊的成長を望む姿勢を表明したことになります。そのことによってまるで森先生につられるように意識が上がるのです。

 

 意識が先に上がることによって、その意識レベルでは保持していられなくなったネガティブが表面化し自然と手放されるのです。つまり浄化のプロセスとして意識指数が先に上がり、その意識レベルに相応しい状態になれるように様々な試練が訪れ、それらを消化することによってその意識レベルが定着する、ということです。

 

 もちろんそこからさらに霊的成長を望めば、さらに高い意識指数が与えられ、もっと精妙な問題が浮上し、それを解消するための課題が現実の試練となって現れる…ということを繰り返すということです。

 

 

 最近森先生が発見したのですが、質の高いアメジストドームがそういう浄化の仕方をするそうです。ドームの前に立つと、先に各エネルギー体の振動数が上がり、それに伴って振動数の合わないネガティブなものが浮き上がってきたのだそうです。

 

 ウチのアメジストを手にした途端とても嫌な昔の思い出がよみがえったというお客様のお声が多いのはそのせいだったのかもしれませんね。

 

 ですから、意識指数が上がるということは、本人が何を考えているか、心の奥に何を抱えているか、今後処理すべき未解決の課題などが周囲にもろ見え丸わかりになるものなのです。そして、それを学習するための「先生」を周りに配置し、現実がその学習の場として機能するよう動いていきます。意識指数が上がるとはそういうことです。

 

 これまでも何度も言っているように、意識が高くなればなるほど、謙虚になります。森先生を見て下さい、偉そうな素振りは一つもないでしょ?私にこんなブログを書くことを許しているくらいですから。ですから、意識指数が上がって人から賞賛されたいとか、尊敬されたい、認められたいというのは、そもそもその願望自体が意識レベルを落とす原因となり得ます。

 

 霊的成長にはその人それぞれのペースやタイミングというものがあります。そしてアセンションのような飛躍的な成長を遂げるには、その都度用意周到に準備された大きなハードルを超えなければなりません。ですから、今成長が遅いとしても、今はたまたまそういうタイミングなのだ、というだけの話なのです。

 

 よく私のことを、「森先生のセッションをタダで受けられてイイね」とか言われますけれど、トンデモないですよ。2020年のコロナ禍になるまで、私はほとんど森先生のカウンセリングもブロック解除ワーク等のクリアリングセッションも受けさせてもらってないんです。書籍にも森先生の言葉でそう書いてくれてありますけれど、本当に自分で気付きを得、自分の力で過去と向き合ってきたんです。

 

 コロナ禍に入ってからようやく何回かブロック解除ワークを受けさせてもらったのですが、もう既に覚醒のためのポーションとかそういうのしか出て来なくて、時間も40分で切り上げられるという感じでした。

 

 前にもお話しましたが、それでも意識レベル700が頭打ちでした。そこからどうやっても何をやっても上がっていかないのです。

 

 ネットで様々な情報(誰々さんのセッションだとかセミナーだとか)を拾っては森先生にチャネリングしていただくのですが、どれも不要とのことで、それ以上どうやって勉強、あるいは修行していいかわかりませんでした。ですから、一人で勉強することを諦め、こうして瞑想教室という形で皆さんと苦楽を共にすることに決めたのです。

 

 すると、ようやく意識レベルが再び上がり始めたのです。それは皆さんの意識レベルが劇的に上がることによって、まるでお神輿に乗せられて持ちあげられるかのように私の意識レベルも上がっていったように感じました。そうか、私の今世の目的は様々な人の霊的成長に寄与すること、そのことをちゃんとやらないと意識指数もあがらないのだ、ということが分かったんです。

 

 私がこうして自信を持ってブログに色々と書かせて頂いていただいているのは、ほぼ自力でやれることを全てやったからなんです。その経験をベースにお話ししています。決して森先生の言葉の受け売りなんかじゃないんですよ。

 

 そして、今私にはどんな状態の人だって、たとえ今お金がなくて森先生のセッションを受けられない人だって、気付きを得、大きな成長をすることが出来ると思っています。そのためにこのブログを利用していただけたら、こんなに嬉しいことはありません。

 

 発達障害だってパーソナリティ障害だって、どんな深刻な病状にある人のことも、私は私そのものだと思えます。決して誰かを批判したいのではなく、私が 私自身を内観するかのように、今この記事を書いています。

 

 私とは違う相容れない人、共感できない人、理解できない人、などはこの世にはいないと思っています。もしそういう人がいたとしたならば、私は全力でその人を理解しよう、共感しようと最大限に努めることでしょう。そしてその人は 私の師 となります。こうしたことは意識が上がれば上がるほど、誰もがそう感じることだと思います。

 

 逆に、そう思えれば、意識は上がっていくということです。

 

 昔演劇のセミナーで「楽しい気持ちになるためにはどうしたらいいか」という話題になったことがありました。その時の講師は「鏡を見て口角を上げ、笑顔を作ればいい。そうすると自然とそういう気持ちになるから。」と回答しました。

 

 ですから、意識の高い人の在り方を真似て下さい。最初は形だけ、表面的なものでもいいと思います。自分で自分の事を意識が高いというのはおこがましいけれど、それでもおそらく私は皆さんのほんの少し先を歩いているんじゃないかと思います。

 

 今回ツアー中に覚醒された方はそうした勘所の鋭い方でした。目の前のお手本について、何が本質なのか、その本質を見抜く目を最初から持っておられました。ですから、物凄く成長が早かったのです。

 

 昨年5月と12月から今年の1月にかけてのカーサツアー、そしてそれに前後して実施して参りました瞑想教室ですが、今、本当に物凄い成果を出しつつあります。

 

 特に森先生が本を完成させてからというものの、森先生自身が絶好調でして、一昨日第4期の水曜日コースが始まったばかりですが、みんなが瞑想している間にエンチダージからの長いメッセージと、個別にそれぞれにサポートでついたエンチダージからのメッセージを降ろし、初めてテキストでそれぞれに送ってくれました。

 

 いや前からやっていたことなのですが、その量と質が各段に上がっているのです。書くスピードと言えば私は森先生に負けないつもりでしたけれど、あのクオリティであのスピードは絶対に真似できないと思ってしまいます。

 

 しかも、森先生はそれぞれ一人一人全然別の存在にアクセスしてメッセージを降ろすのです。そればかりか、おそらくそのメッセージを頂く本人にもちゃんとアクセスして、本人が理解しやすいように翻訳して書き取っています。

 

 私は森先生のことをブログではあまり褒めないようにしているんですけれど、さすがにこの時ばかりはすごいなと思ってしまいました。

 

 これは瞑想教室の皆さんから逆にエネルギーをもらうようになっているのかもしれない、というのは先ほども申し上げた通りです。もちろん、そんなことを期待して瞑想教室を始めたのではないのですけれど、結果的に今そうなっています。ツアーと瞑想教室と、このメンバー達とはもうずっと一緒にやっていきたい仲間と思っています。

 

 この皆さんで集まることに大きな意味があります。エンチダージは人と人の絆を作るのが超うまいのです。ですから、今残ってくれているこの仲間同士はエンチダージが繋いでくれた素晴らしいご縁です。

 

 ですから、仲間内でつまらない比較をしたり、意味のない競い合いをしたりはして欲しくありません。お互いにお互いが鏡であり、成長を見守り、促すことのできる同士であることを信じて、信頼し合って欲しいのです。

 

 今瞑想教室に来て下さっている皆さん、そしてカーサツアーでご一緒出来た皆さん、私は誰も置いていきたくはありません。

 

 今このことをお伝えしなければと思ったのは、特にカーサで進捗のなかった方々が非常に今悩みの中にあるからです。どういう悩みかというと、やはり「他の人と比べて」自分の現状が思い通りに行っていない、という悩みのように見受けられるのです。

 

 その悩みの中にいてはその悩みは解決しません。その悩みはどうして起きているのか、そこをまず内観すべきで(悩みの本当の正体ですよね)ちゃんと内観出来れば、その悩み自体がこれから取り組むべきことを指し示すサインであったことに気付けると思います。私はこのシリーズ後半のこれまでのブログで、一生懸命それをお伝えしています。

 

 人と比べること、それはこれまでのサバイバルの過程で、特に幼少期の母親に植え付けられた幻想なのです。みんな誰もが、ありのままで素晴らしい、愛される資格があり、実際に愛されているということを知って欲しいです。そして瞑想によって、それを実感してほしいと思います。

 

 なんだか今日はまとまりのない記事になってしまいました。(-"-)スンマセン

 

(続く)