日葵のブログへ ようこそスター

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とっても励みになっていますニコニコ

現役保育士さんからのコメント…
参考になると言っていただけて、嬉しいです
えーん✨️
私からと言うよりも…
日葵から、私の方が学び、成長している気持ちになる日々です!


初めましての方は、こちらからどうぞ👇


現在、こちらでは日葵の出産後を振り返っていますスター


私だけが退院し、いよいよ日葵のもとへ!


前回記事はこちら👇




入院生活は出産日から数えて6日間でしたが、日葵と離れ離れな上、コロナ禍で誰とも面会出来ず


日葵の状況も分からない日々は、ただただ拷問のように長く感じました。


助産師さんに手伝ってもらいながら母乳マッサージをしたり、旦那さんやお母さんや友人とLINEしたり


何とかやり過ごして、ようやく迎えた退院当日。


日葵のいる転院先の病院で、今後の治療方針を旦那さんと2人で聞く事になっていた為、旦那さんに迎えに来てもらい、そのまま直行する事に。


出産した病院の助産師さん達は、赤ちゃんと一緒に退院出来ない私を気遣ってくれ


「何かあったらいつでも言ってね!」


と、最後まで暖かく見送ってくれました。



やっと、日葵に会えるニコニコ

元気に頑張ってるかな?



頭の中はそればかりで、この時はもう



日葵がダウン症かもしれない


という事は忘れていました。



というより、頭の片隅にはあったけど、ずっと考えないようにしていたのかもしれません。


「検索魔は良くない」


と言われただけで、決して


「日葵はダウン症ではありません」


と言われたわけではないのに。


途中、NICUではスマホでの写真撮影が禁止だった為、実家で昔使っていたデジカメを借りに立ち寄り

旦那さんと他愛もない話をしながら、病院へ向かいました。


普段は両親どちらかしか上がれないエレベーターを、この日は医師説明という事で特別に2人で上がり


以前も入った個室に、担当の看護師さんに案内されて、何となく緊張しながら待っていると


先生方が、何人もぞろぞろと入って来ました



あれ

心臓外科の先生から話を聞くだけじゃないの



この時点で、凄く嫌な予感はしていました。

何だか、空気も重々しい


まず紹介されたのは、遺伝科の先生。


そして、心臓外科の先生。


さらに、前回もお話をしてくれた新生児科の先生。



最初に、遺伝科の先生から話がありました。


1番最初に


「赤ちゃんの名前は、もう決まっていますか?」


と聞かれ


そしたら、ひなたちゃんとお呼びしてお話を進めますね」


と。


凄く穏やかな口調で話してくれていましたが、遺伝科の先生の後ろには、同じ遺伝科の先生がもう1人と、カウンセラーの先生が同席していて。

これから、どれだけ重い話があるのかは明白で、この時点でもう既に泣きそうでした。


そして


「遺伝科聞き慣れないと思うんですが、遺伝科と言われるとどんなイメージですか?」


と、不意に聞かれました。


この時にはもう、日葵に心疾患以外に何かがあるんだとほぼ確信していたので


震える声で


「何か先天的な障がい

とか?」


と、絞り出すのがやっとでした。


遺伝科の先生は、穏やかな笑顔を崩さないまま、続けます



チューブを握り締めて

頑張ってた日葵


【CE生】日葵の所属事務所はこちら👇