25年12月 ソウル旅行

 

さくさくと旅行記のつづきを書いていきます。

 

日韓の歴史の重たい内容です。

しんどく思われる方は、画面を閉じてくださいね。

 

では、その内容を。

 

 

 

前の記事でも少し触れましたが、過去の歴史を深掘りしたくて訪れました。

 

 

戦争と女性の人権博物館

日本軍「慰安婦」被害生存者が強いられた歴史を記録した展示がある。



駅からバスで向かう。


ソウルの細い路地と壁画

 

細い路地を通って向かう。華やかな繁華街とは雰囲気が異なる。

 

 

入り口はどこ?

 

image

 

塀に書かれた壁画をみて、その建物とはわかるけど、入り口がわからない。


 

ぐるっと回った道にドアが。張り紙に「入口」と営業時間らしきものが書かれていた。

この黒い鉄扉が入り口だとわかる。

 

戦争と女性の人権博物館入口

 

ノックしてドアを開けて入った。

小さな窓口のカウンター。女性が受付、入館料5千ウォン払う。

 

 


博物館の観覧方法の説明を受ける。

建物内の順路に沿って行き、マークがあるところで、ガイドレシーバーの音声ガイドが流れる。

 

ソウル旅行 ガイドレシーバー ALTO 6


「わたしは、日本人です。」と伝えると、日本語ガイドレシーバーを貸してくれた。


 

ガイドレシーバーに沿っての

順路は次のとおり

 

プロジェクターで映像を見ながら、ガイドレシーバーの音声で、当事者の方の語りを聞いた後、横にある黒い鉄扉を開けて次に向かう。

 

博物館の入口ドアとオーディオガイド

 

黒い鉄扉は、過去の歴史へ向かう入り口。という設定。

 

 

屋外に出る。

 

顔のレリーフが並ぶ壁と影絵の路地

 

砂利道を歩き、闇の世界へ向かう。

 

戦争と女性の人権博物館の展示

 

被害者が当時のことを回想して描いた絵。

 

 

 

被害者が経験させられた暗く狭い闇の空間。

 

戦争と女性の人権博物館、慰安婦資料展示

 

当時の女性が履いていた靴、軍人が残した水筒がゴツゴツした岩の上に残されている。

 

 

ガイドレシーバーを通して、壁から被害者の声が聞こえてくる。

 

慰安婦博物館の石碑「なぜ証拠がない」

 

韓国語のほか、日本語の訴えもありました。

 

 

象徴する、少女像

 

戦争と女性の人権博物館 少女像

 

少女の隣りの椅子が空いている理由。まだ事件は未解決、無念の思いで亡くなった被害女性の影を表しているとのこと。

 

 

 

観覧は一時間ほどでした。

 

おおむね想像とおりの内容だった。


だけども、


当事者が語る、壮絶な過去を伝える展示と音声は、、非常に重かった。その空気感に押しつぶされそうな気持ちになった。

 

 

受付の女性と少し話しました。

過去の事実を知れたと感想を伝えた。女性は、事実は事実として、風化させずに後世に伝えていかないといけない、と話されていた。

 

 

展示の内容をまとめた冊子を買いました。

 

戦争と女性の人権博物館

 

博物館には、わたしのほかに若い女性二人が訪れていて、熱心に展示物を観ていました。日本人の観光客も、たまに来ると話されていました。

 

 


博物館を後にして。

なんとも重い気持ちで駅へ向かいました。

 

 

いわゆる、慰安婦問題。

知識としては知っている。象徴の「少女像」その周りで頻繁にデモがあることも、ニュースで見る程度の知識だった。

 

被害者の視点から語る、重く深い歴史。決して楽しくない、暗い悲惨な気持ちになりましたが、知れてよかったと思います。

 
 
 
帰国してから考えた。
 

なぜ解決しないのか。

日本は解決済み、韓国は解決していない、と平行線。どちらがどうなのか、外交問題であり、それこそ、上っ面の知識でここで書けるものではない。

 

ひとつ思ったのは、

戦後80年、あまりにも、時間が経ちすぎている。時間の経過は、解決をさらに困難化しているのかも。と思った。



以上、戦争と女性の人権博物館を訪れたことを書きました。

 

みなさま、ここまで読んでくださりありがとうございました。
 

前の記事で書いた、ソウルを深掘りしたい、ひとつ目的を果たしました。
    
ソウル旅行記、また、更新します。
 

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