こんにちはのにゃんこ~ペルー6 | 茶猫シスターズ

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2にゃんの茶猫の日常です。

こんにちは~
チャチャ(お名前リンクしてま~す)さんから
フードツリーを紹介してもらったので、
デブ猫「まい」の過食防止と運動の為に、
買おうとしたら、その前に試してみて!
とペットボトルに穴を開け中にフードを入れ
遊ばせながらフードゲット機を教えてもらった。
 
早速茶猫達に進呈~キラキラもぐもぐキラキラ
 

 

まずは数粒出してあげて、ここから美味しいオヤツが出るよと

教えてみた。

 


 

まずは、むぎがちょいちょいお願いデレデレ

 

 

次に、まいがちょいちょいもぐもぐウインク

上手くいったかしら??

 

 

すんすん、(´~`)モグモグ照れ

何度か回せば出るよと教えて、

外出から戻ってみると・・・・

 

 

おやつの入ったまま、ペットボトルは机の下に転がされて

見向きもされていないのであった~

 

その後、根気よく教えてみたが、

ペットボトルが転がるのが怖くて

近寄りもしなくなったのであるチーン

 

むっちゃんは怖いからイヤチュー

まいちゃんもいやにゃ~ムキー

 

 

 

うずまき  うずまき  うずまき  うずまき  うずまき

 


こんにちはのにゃんこ~ペルー6

ペルーの旅も6回目となったわ~

あと2回ぐらいで終わるかしら??

 

クスコから電車に乗り無事マチュピチュ村で朝を迎えた茶猫達~

翌朝のマチュピチュ村は昨夜の雨で激しい濁流となる水かさが増した渓谷であった!

 

ドドドドドドドドド~~~落ちたら死ぬな・・・Ω\ζ°)チーン


 ここからバスで15分の未舗装の山道を登りインカ帝国マチュピチュに向かうのであった~

マチュピチュ行きのバスは、朝の6時ごろからマチュピチュ村と山を客を乗せピストン輸送している。

 


 向かう山道も未舗装、尻は割れんばかりの状態である。

・・・割れてるなっ・・・

ようやくマチュピチュに到着。

 

 

入り口付近に、何十頭

ものワンコが寝ているのよ〜

観光客は、そのワンコを避けながら進まなければなならない!!

 

 

入場し、途中の坂道にある看板

米エール大の学者ハイラム・ビンガム氏により1911年7月24日に発見された。(上)

と、発見されて100周年を祝う看板(下)

 

チケットは既に日本でオプション予約していた。
昔は自由に散策できたマチュピチュ遺跡だが、最近は観光客が遺跡を破壊したり、勝手な行動をするらしくガイドを付けなければならくなったらしい。
日本で既に 6,400円(マチュピチュ遺跡日本語ガイドツアー)を予約していたので其のまま入場。

 

 

ゆるい坂道を抜けるとそこは世界遺産であるマチュピチュの遺跡が広がった。照れ

 

 
いんや・・・霧に覆われていた!ガーン

 

 
徐々に霧は晴れて行き、

 

 
ようやく姿を表した。

 

インカ帝国の首都はクスコであるが、このマチュピチュ都市はインカの王パチャクテ(Pachacuti)の時代の1440年頃に建設が着手され、1532年にスペイン人により征服されるまでの約80年間、王様や貴族の別荘であったと言われている。

 

マチュピチュとは「老いた峰(Old Peak)」を意味するケチュア語である。


アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にある。

 

遺跡の背後に見える尖った山はワイナ・ピチュ(Huayna Picchu、若い峰)といい、標高2720mである。茶猫らはデブ2名と年寄りなので登頂を諦めたが、ここに登頂する元気な方々もいた。


ワイナピチュの入山時間は7:00から8:00までと10:00から11:00の2回に分けられ、さらに1日400人限定(1回200人)である。急な坂道を登り約40分ほどで頂上へ・・・そこに広がる絶景は素晴らしいらしい!

 

マチュピチュ遺跡は、山裾からは遺跡の存在は確認でず、1911年7月24日に、アメリカの探検家ハイラム・ビンガムが、この山の上に遺跡を発見されるまでは、山すそに住む農民たちが畑として利用していたらしい。

 

現在のマチュピチュ遺跡上差し
 
 

image

インカ時代のマチュピチュの再現図上差し

 

この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。

 

遺跡には、大きな宮殿や寺院が王宮の周囲にあり、そこでの生活を支える職員の住居もある。

マチュ・ピチュには最大でも一時に約750名の住民しかいなかったと推定され、雨季や王族が不在の時の住民は、ほんの一握りであったと推定されている。

 

山腹にはマチュ・ピチュの太陽の神殿に対する月の神殿が存在する。

インカの神は日本やエジプトと同じく太陽神であるため、太陽により近い山の頂(いただき)は儀礼場として適当だった。

 

インカの人々にとっての神は、太陽とともに月も挙げられ、多くの遺跡には太陽神殿と月の神殿が対で祭られている。

 

マチュ・ピチュの太陽神殿に対しては、ワイナ・ピチュ(「若い峰」という意味で、マチュ・ピチュの背後にある尖った山)の裏手に、月の神殿が洞窟に作られている。

マチュピチュ遺跡内にはインカのシンボルでもあるコンドルの神殿があり、ワイナ・ピチュ側からマチュピチュ遺跡を見下ろすとコンドルの形に見えることからも、この遺跡が宗教儀礼的意味を持って建設されたことがわかる。

 

神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は神への供物として栽培されていたか、神が人間に下賜されたものとして人々に食べられたか、いずれにしても宗教儀礼的意味が色濃く反映されている。そのようないきさつから、現在、マチュピチュは宗教都市として捉えられている。

 

 

 

ここはマチュピチュの外郭でそそり立った崖の上にある。

時空を肥え(超え)、インカの時代に飛び立つべく、何度もこの崖からコンドルになり大空を飛びたい衝動にかられたが、東京に残した可愛い茶猫達の元へ帰るべくその気持ちをぐっと堪えるのであった。

 

万が一、コンドルになり翼がついたとしても大空へは飛び立てず、崖の真下へ落ちるのは間違いない。今の体重では鳥になっても飛べないのであると確信した。

 

相談役は、飛行機は平気なくせに、崖では高所恐怖症だと急に言い出して、戻るだの帰るだの騒いでいたが、何とかだましだまし、自力でこの坂を下りて行ってもらった。

 

 

 

マチュピチュ遺跡を堪能し、麓の村へ戻りお昼を食べることにした。

 


レストランを探し、食事をしていると、日本でもNHKなどに出演し愛燦燦などを披露した有名な三人組のRIJCHARY(リチャリー)という民族音楽団の路上ライブ演奏が始まった。

 

ご存知、El condor pasa / コンドルは飛んでゆくなどずっと演奏されていた。

この笛はケーナと言い高い音を出す。


デブ山は、これを購入し暫く会社でYouTubeを見ながら練習をしていた。
最初は難しく、シャーシャーという乾いた音しか出なかったが、今では、コンドルが飛んでいくが演奏できる。なかなか器用な男である。

 

そして、午後にはクスコに戻るべく再度 Vistadome ビスタドームにのりコムのであった。

途中、世界的に有名らしい空中ホテルが電車内から見えた。

 

 

             画像はホテルサイトからお借りいたしました。


ここでは天空の眠りが得られるそうな・・・

そりゃそうだろう~~~

 

 

 

ペルーはトウモロコシの農家がとても多い。
これは紫トウモロコシの畑、難十キロも延々と繋がっていた。
チチャモラーダという紫色のトウモロコシジュースがレストランなどで飲むことが出来る。

そして、三時間半の列車旅を経て、クスコのボロイ駅に到着。
また、標高の高いすり鉢状の坂道で茶猫は自分の体重を呪うのであった!


つづくぅ~