昨日の3.11で8年目を迎え
あの日の事は今もはっきりと覚えている
会社におり、倒れそうな棚などを支えながら
大きいわね!どうしよう~
長いわね!どうしよう~
と思案するばかりで何も思い浮かず。
一番大きな地震がようやく収まり我に返ると、心配なのは家にいる母親と猫ら。
急いで車で家に帰る途中で見た光景は、
既に幹線道路は大渋滞
裏道も大渋滞
レンガの剥がれ落ちたビル
盛り上がった道
それらがいつもとは違う地震だと思った。
車の中のTVでは火災や津波のニュース。
あれよあれよと飲み込まれる家、信じられない光景が広がっていた。
いつもなら25分で帰れる道が2時間以上かかった。
家に帰るとエレベーターが止まっていた。
非常階段を23階まで登り、ニューヨークの9.11を想像し、ようやく家に戻ったら室内はめちゃくちゃ。
同僚の部屋に至ってはスプリンクラーが誤作動していた。
ドキドキしながら先代猫の「ひな」「はに」らを探した結果、彼らはベットの下で寄り添っていた。
一安心!
母親は、駅前のベンチに座っていて無事だった。
良かった!
この日が来るたびに、あの日を思い出し
犠牲になった方々のご冥福を祈ります。
平和な毎日を過ごせることに深く感謝しています。
今日ものんびり~
しっぽクルンの まいまい
可愛いわ~
ちかごろ何故だかこのポーズでお休みの茶猫ら~
エアコン、ホットカーペット、電気ストーブで快適な寝床
何故に向かい合って寝るのかは不明・・・
可愛いからいいかぁ~
同僚が、ふるさと納税で、昨年の9月に北海道のある市に、返礼品としてウニを頼んだのだけれど、年が明けてもなかなか届かないので、連絡したら、北海道胆振東部地震の影響で不漁との事!
代替返礼品を選んで下さいと言われ、選んでいたら横からデブ山が肉!肉!
とうるさいので肉を探したら・・・
エゾシカ肉しかなく、仕方なく注文!
届いたのは数㎏の肉、いろいろな部位があり、早速鉄板焼きで食べることに。
(´~`)モグモグ
あ!まだ生だ!!
血が出た~~~
エゾシカの臭みがあるだろうとの偏見で、にんにくを用意したが、にんにくの方が臭かったというオチがあった。
再度焼いて(´~`)モグモグ
味は、実際にお取り寄せてお食べくださいまし!!
中に同封されていたパンフレット①
気になったのは、
思いっきりのエゾシカの写真と
②
ペットにもというパンフ
もっと気になったのは
狩人募集の記事
③
サングラスのエゾシカ……
こんにちはのにゃんこ~ペルー5
民族衣装のお姉さんたちは気軽に写真撮影に応じてくれるが、撮り終えたあと「マネー」と言われる。
ペルーでミッションの一つである「クイ」を食べた後、夕刻にはマチュピチュへ行く電車に乗らなければならず車のお迎えは15時だというので、残りは約1時間・・・。
茶猫はモフモフのお土産を買いに行くことになり、土産物市場を散策!
そのもふもふを「デブ山」が見てひと言
「何でそんなものを!土産にするの~?いい大人が恥ずかしいわ~」
とか言っていたのに、ホテルに戻ったデブ山の手には数十個のモフモフがビニール袋に入っていた!!
結局ほしかったんか~い!!
東京に戻ったときには、大威張りでお客様へ1個づつ配っていた
独身時代の「でぶ山」は、キャラクターグッズは金の無駄!
そんなもん何故買う?
と超バカにしていたのに、結婚し、子供が生まれて、完全にキャラが変わり、モフモフを買うお父さんになりましたとさ!
そしてそれをホテルで見た相談役も欲しくなりマチュピチュから戻った後、再度すり鉢状のクスコの町でモフモフを探すことになったのは言うまでもない!
クスコの街はピューマの姿を表しているらしい。
その後、私たちはクスコのホテルに大きな荷物を置き、1泊2日の小さな荷物を持ち、マチュピチュ村へ向かった。
マチュピチュ村へは徒歩以外は電車で行くしか方法はなく当然のごとく電車で向う。
列車は、豪華列車の「ハイラム・ビンガム」、団体客の「ビスタドーム」、「エクスペディション」の三種類からなり私たちは「ビスタドーム」に乗った。
クスコから一番近いボロイ駅は朝早くの電車なので夕刻出発の私たちは、クスコから車で1時間半ほど離れたオリャンタイタンボ駅に向かった!
オリャンタイタンボ駅に向かう道は険しい未舗装道路の山道を3つほど超えた場所にあった。
ドライバーさんは戦地でも活躍できそうなくらい、運転が粗く早かった!
私の運転を知っている皆様~
私の数百倍凄いわよ!!
駅に到着した時には拍手をしたいくらいだった。
快適な4時間の列車旅を経て夜遅くに駅に着きマチュピチュ村のホテルに到着した。
翌朝のマチュピチュ村は昨夜の雨で激しい濁流となる水かさが増した渓谷であった!
ここからバスで15分の未舗装の山道を登りインカ帝国マチュピチュに向かうのであった~
つづくぅ~
みなさまいつもありがとうにゃ〜