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まだまだです💦
この頃、良い事も嫌な事も起こるけど、
どんなことも、学び切れば嫌なことも良いことに変わるので、
良い部分だけを思い出して、置き換えて
自分の物にしていくことが大事だと考えてる。
それは、もう20年以上変わらない。
嫌われることに慣れている私は、
その嫌っている人からどのくらいの事が学べるかで、その嫌ってる人に感謝をもできるくらいの
知識や、考え方を得ようと努力します。
万人に好かれようとする人がこの世にはたくさんいますが、
それは非常に疲れる・・・
人が人を嫌うのは、
それは、顔のせいかもしれない。
喋り方のせいかもしれない。
声の質かもだし、
生理的にかもしれない。
でも、自分自身は気にしなくていいのよね。
だって、ただただ自分は自分のために生きてるんですから。
嫌ってる人に媚を売る必要もないけど、
じゃあ、少しは何か得た方が良いと思えば、その人の良いところを探るくらいは毎回している。
そうすると、そういう人ってなぜか私に必要な言葉を吐いてみたり、やってみたりする。
その行動が反面教師になることもあれば、
その言葉は、私にとっては行動に移して大吉と出たりする。
大概の一般人が、自分ではそんな発言をしているが、実際行動に移している人はほとんどいない。
神様が与えた、使い捨ての人材だったりする。
嫌われることに慣れていると、人の苦言になんの感情も動かなくなってくる。
けど、その苦言を素直に受け取る自分もいる。
つまり、人から見ればそう見えているなら、改善の余地はあるわけだ。
自分を磨くために、傷つくのではなく、
「なるほど。そう見えるんだな。実際はそんなんじゃないんだけど、、
じゃあ、そう見えないように何をしたらいいか」
を模索したりする。
もしくは、「この人には私の本意は見えていないから、どのようにしてこの人を自分のペースに持っていけるか」
を考える。
人生はゲームだなってつくづく思う。
いろんな感情が出る自分自身を観察していると、客観的にみて、楽しんでるんだなってわかる。
そんな自分に勝ったり負けたり。
数年するとそんな過去を笑ってたりする。
潜在的には楽しんでるんだと思う。
なので、私は罵られたり、罵声を吐かれても、シラっとしてたりして驚かれる事がある。
私を罵って傷つけられる人間は、息子以外存在しない。
だって、他人がどこまで私を知り得ているのか?
私を知らない人が、無知にも私を知ったふりをするなど、相手にするレベルでもない・・。
けど、学ぶのよね、そんな事態が起こったら。
そうやって、手放したり楽観したりして、全てを自分のペースに持っていく必要がある。
そういった浮き沈みのない自分が出来上がった時、上質な安定を手に入れられるのだと思う。
そうすると、いろんな事が好転していくものだなと思う。
つまり、人に振り回されない自分を学ぶことが、自分の性格も人生も
最大に自由にしてくれる術である。
今は転換期。
あともう少しで、またカチッと次元が変わって、並行宇宙の移動を体感できるだろう。