NK18O-⑧ 軍歴照会・宮崎帰省 | 秘密基地ベーリン

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2015年10月からのベーリンでの生活も8年目に入りました。健康第一、ベーリン方丈庵の日々を綴ります。

一時帰国(10/8~11/6)時の記事が途中中断していましたが、年を越さないようUPしておきます (^^;

 シリーズNK18O=NK(日本帰国)-18(2018年)-O(10月:October)

 

ベーリンではYouTubeで「真相深入り 虎ノ門ニュース」を毎日見ていますが、その中で"軍歴照会"について話がありました。

亡くなった父は昔気質の人間だったので、自分から昔のことを喋ることはありませんでした。大学進学の時に家を出て、就職も熊本でしたのでその後一緒に暮らすことはなく、逢うのは帰省の時ぐらい。父の若い時の事はほとんど知らないままで亡くなってしまいました。

 

父のことを知りたくて、今年春に一時帰国した際、軍歴照会を申請しました。

・申請先:厚生労働省社会・援護局援護・業務課調査資料室

・軍歴照会:「当室では、旧陸軍から引き継がれた昭和20年当時外地にあった部隊別の連名簿(「留守名簿」)等の資料及び旧海軍から引き継がれた資料(「履歴原表」等)を保管しております。

 これらの資料は個人情報のため、プライバシー保護の観点から、旧陸海軍軍人軍属であったご本人、もしくはご遺族であることの身元を確認した上で、調査し資料の写し等を提供することとしております。」

 

二か月ほどして回答があったので、今回、宮崎に帰省し久しぶりに兄・弟と飲み会をし、貰った資料を見せ父の思い出話に花が咲きました

父は国民小学校(6年)・中等学校(5年)を経て電気専門学校(2年)を卒業、「満州航空株式会社」に航空通信士として就職。戦争末期に軍に編入。昭和20年9月に奉天でソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留・強制労働を強いられ、昭和23年12月に日本に帰還しました。

膨大な資料の中から、父に関連する満州航空の職員名簿、ソ連の抑留者カード、引揚者名簿等を翻訳・コピーしていただき、国(厚生労働省)には感謝いたします。 地図は別添資料としていただいた父がいた収容所の位置

 

 

数多くの方が亡くなったシベリア抑留を歯を食いしばって耐え抜いてくれたおかげで今の私達兄弟の生があり、帰国後は刻苦勉励し三人の子供を大学まで行かせてくれたことを思うと感謝の念しかありません。

満州航空の時はサイゴンや硫黄島まで行ったことがあると兄が教えてくれました。

「鶏頭となるも牛尾となるなかれ」「李下に冠を正さず」など、父の口癖が思い出されます。

 

飲んだ後は、名物“釜揚げうどん” \(^o^)/

 

 

◇◆◇◆ ◆◇◆

今回初めて、兄とゴルフをしました。弟もゴルフをしますが、20年もクラブを握っていないそうで今回はパス。 従弟が助っ人に来てくれました。 場所は「宮崎サンシャインGC」、土曜日でしたが食事込みで8,000円でした。 バーディーを一つゲット ヽ(^o^)丿

今ではセルフのカートでは当たり前らしいですが、コース案内・ピンまでの距離・先行カートの位置などが表示されるディスプレイが取り付けてありました。

 

 

翌日は墓参りして両親・祖父母に頭を下げてきました。 墓は兄夫婦がいつも綺麗に管理してくれています。

宮崎神宮にも参拝。 早めの七五三のお参りで家族連れが多くいました。 初詣、宮参り、七五三・・ 小さな子供たちが手を合わせてお祈りしているのを見ると、健康や幸せを感謝する”心”はいつまでも続いていて欲しいと思います (=^・^=)

 

 

※広告が掲載されていますが、内容とは無関係です。

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