タイ北部への旅(1) -チェンマイ戦没者慰霊祭 | 秘密基地ベーリン

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2015年10月からのベーリンでの生活も8年目に入りました。健康第一、ベーリン方丈庵の日々を綴ります。

8月14日~19日に、タイ北部のチェンマイ~メーサーイ~チェンラーイを旧友K君と旅してきました。 

 

 目的の一つが標題にある「チェンマイ戦没者慰霊祭」に参加することでした。 この慰霊祭があることは、新明天庵さんのブログ「チェンマイ・ブログ・新明天庵だより」で知り、タイにロングステイするようになったら参加したいと思っていました。

 15日早朝に夜行列車でチェンマイ駅に到着、ゲストハウスに荷物を置き、会場の一つ、ムーンサーン寺に向かいました

 

 慰霊碑の前に会場が設置してあり、午前9時半より開会、実行委員会より慰霊祭の趣旨説明等があり、50分から日本武道館での全国戦没者追悼式を視聴。午前10時(日本時間正午)より黙祷、天皇陛下の御言葉拝聴

 以後、ムーンサーン寺の僧侶による読経、参加者による献花・焼香、領事による追悼の辞があり閉会。

 

 

 慰霊碑裏の記念館の約半分に日本兵の遺品や当時の写真が展示してありました。

 タイの方々は、傷ついた日本兵に水や食糧を分け与えて下さり、遺品を大切に保管して下さったおかげで今でも十分使えそうな状態のものもありました。 チェンマイに行く機会がありましたら、旧市街のすぐ南にありますので是非訪れてみて下さい。

 

 

 

境内には、周辺が銀細工で有名なことから、銀細工を展示した建物もありました。

 

 

 

 

 私は昭和29年生まれで、団塊の世代の後を追いかけるように生きてきました。何とか熊本の地で就職の口を見つけ61歳まで働き、今はバンコクの外れで余生を送っています。これまで戦争を体験せずに過ごせたことは幸運でした。

 七十数年前、この地で望郷の念にかられながら亡くなられた多くの戦没者の方々にご冥福の祈りを捧げます。「あなた方がいたことを忘れませんよ」と思うことが大切だと感じました。

 

【参考】

 七十数年前の太平洋戦争で、インパール作戦など補給なき無謀な戦いの中でビルマ戦線は崩壊し、ビルマから北タイへ撤退する途中で多くの日本兵が亡くなり、遺骨や遺品などは撤退路に放置されたままとなり白骨街道とも呼ばれた。野戦病院にたどり着いても薬品も少なく、この地で息絶えた兵士も数知れないほどだったという。

 慰霊祭実行委員会により、毎年8月15日にチェンマイのムーンサーン寺(当時、境内に野戦病院)、市郊外南バーンガード・ウィタヤーコム中高校(当時サンカヨーム寺があり、裏の井戸から多数の遺骨が見つかった)の二か所で慰霊祭が行われている。

 詳細は「チェンマイ戦没者慰霊祭」「慧燈財団」等で検索下さい。

 

  

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