勉強会資料を読み直していて、生野先生が今後さらに検証が必要だとしたうえで、その勉強会現時点で考察されていたいくつかの点を整理してみた。
「邪馬台国=糸島平野」を前提に、「倭人伝」から読み取れる邪馬台国と伊都国の特別な関係(主従関係や血縁関係のような運命共同体的な強い関係?)を足掛かりとして・・・・
①卑弥呼が倭王に共立される前の邪馬台国と伊都国の位置はどこか(祖国)?
②その2つの国(邪馬台国と伊都国)は「倭人伝」に記述された30国の中にあるのでは?
③魏使は倭人が新天地にも元の祖国(出身地)と同じ地名(国名?)使うという慣習を持っていたことを知らなかったのでは?
④魏使に対して倭人は邪馬台国や伊都国の祖国をどう説明したのか?
⑤「倭人伝」に記述されている30国のうち「好古都国」と「都支国」の2国だけは表音文字ではなく表意文字で記述しているのではないか?「好古都国=よき昔の都(邪馬台国)」、「都支国=都を支える国(伊都国)」
⑥魏使はどんな順番で30国を記述したのか?または倭人の説明に何か法則はあったのか?
⑦「不弥国」はどこか?「倭人伝」の「東行、不弥国に至る百里」は書き写しの時点(12世紀末)で「東■行」「水」が脱落したのでは?不弥国は志賀島か?(志賀島には志賀海神社もあり「君が代」の舞台となった地名等がある)
⑧「奴国と斯馬国」も「邪馬台国と伊都国」のように特別な関係(主従、血縁)があって倭国大乱後、一緒に出雲地方へ放逐(避難)されたのでは?「奴国」は石見と出雲になり、「斯馬国」は隠岐の島に移って銅鐸祭祀圏を再構築したのでは?
こういった考察にはたくさんの中国史料や「記紀」、「和名抄」など記事のほか、考古学的な発見も含めて検証内容が詳細に紹介されている。
つくづくこのB4の紙資料を埋もれさせちゃもったいないと思う。
今さら著書には出来ないけど、なんとかこの勉強会資料を私のヘタな概要ではなく古代史ファンの方に読んでもらえたらいいのだけど・・・・