志賀島の金印:令和2年12月号 | 生野眞好の日本古代史研究会記録

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在野の古代史研究家 生野眞好(しょうのまさよし)先生の勉強会や月刊誌フォーネットに連載中の記事の概要などを紹介しています。
「魏志倭人伝」や「記紀」などの文献史料を中心に邪馬台国の位置、ヤマト王朝と先興の奴国王家との攻防(宗教対立)と共存などの検証です。

 生野先生からフォーネット12月号が届きました! 

 「ハンコレス」が現実的な潮流になっている昨今、今号の「日本の古代史ア・ラ・カルト 第5回」のテーマは日本で一番有名なハンコ、国宝「漢委奴国王」の印鑑です。

 ちなみに福岡市博物館が補修工事のため令和2年12月8日から令和3年3月28日までは福岡市美術館で金印の特別展が開催されるそうです!よかったら一度足を運んでくださいニコニコ

さて、早速概要です!

 

<金印発見の経緯>

 天明4年(1784年)3月16日付で那珂郡書に提出された「甚平衛口上書」によれば、志賀島在住の甚兵衛が、私有地、叶の﨑の田んぼから発見し、兄の知人の米屋才蔵を経由して、国学者亀井南冥に鑑定を依頼。

 亀井南冥は、この印を『後漢書』倭伝にある「建武二年(57年)、倭奴国、貢を奉りて朝貢す。・・・・・光武(帝)賜うに印綬を以てす」に該当するものとした。 その当時(幕末)、尊王攘夷派らが「奴」の文字が使われていることを理由に「金印廃棄論」も唱えられてたが、南冥の論功によって辛うじて廃棄を免れた。

 その後、福岡藩が全国の学者に論文の提出を求めた結果、現在までに続く「真贋問題」や「出土地問題」、「何と読むのか?」など諸説紛々の学説が飛び交う事態となった。

 

<中国の印制>

 中国の印制が定まったのは前漢代で、『漢官旧儀(漢旧儀)』・『後漢書』や『秦漢南北朝官印徴存』などには、「材質・印文・紐形(つまみ)・官爵号」によって、地位や格の違いが厳格に規定されている。

 ①材質=金印(紫綬)・銀印(青綬)・銅印(黒綬・黄綬)

 ②印格=璽(じ)・章・印

 ③紐形=螭虎(ちこ)紐(皇帝・皇后)・亀紐(皇太子~列侯)・駱駝紐・蛇紐・羊紐・魚紐(諸侯王クラス)・鼻紐・瓦紐(千石以下の役人)

 ④官号・爵号(四夷の外臣)=国王・帰儀侯・邑君・邑長など

 

「漢委奴国王」の地位と格は?>

 上記の①金印と④国王から判断すれば、外臣としては最高の地位を与えられていることがわかる。②の印綬と③の蛇紐については東夷の外臣に対する当然の授与形式だったと思われる。

◆外臣として最高の地位だったことの傍証

 『後漢書』百官志(五)の記述や『三国志』韓伝の記事と『三国志』倭人伝の記事の相違によっても「漢委奴国王」の印が外臣として最高の地位だったことがわかる。(・・・・・12/3に画像を追加してみましたえー                    

 また、660年成立の『瀚苑』蛮夷部倭国伝の「中元の際、紫綬(金印)の栄」の記事がある。

 さらに、卑弥呼も倭民族(30国)の代表として「親魏倭王の爵号と金印紫綬」を下賜されているので、倭国が後漢朝及び三国魏朝から東夷諸国の中でも特に高く評価されていたことがわかる。

 

<読み方:漢ノ委(倭)ノ奴ノ国王=かんのわのなのこくおう>

 漢代以降の印制では「内臣」と「外臣」には明確な違いが規定されている。その第一は、外臣の印には必ず時の王朝名が冠せられる。

第二は、王朝名の次に「民族名」が刻され、さらに「部族名」と「称号(官命・爵名)」が続く。

 この点は、歴史学者の三宅米吉氏を始め、考古学者の岡崎敬氏や高倉洋彰氏らの研究によって明らかになっていて、「王朝名+民族名+部族名+官爵名」の分断的読み方が定説!

 この定説によれば、亀井南冥の「漢ノ倭奴(やまと)ノ国王」という読み方は成立しない。また、久米雅雄氏らの「委奴国=いと国(伊都国)」説もあり得ない!『後漢書』に「倭伝」はあるが「委奴国(いとこく)伝」はない。

◆「委」は「わ」と読める

 家永三郎・坂本太郎・井上光貞・大野晋の四氏共著『校訂 日本書紀』の中で、彼らは「委」は中国上古音は「ワ」だった と書いている。

 「わ」と読む例:

〇『日本紀』欽明15年12月の条 「竹斯物部莫奇沙可(つくしのもののべのまかさか)」

〇『日本紀』継体紀 任那国の村名「委陀」を一書では「和多(わだ)」と書いている。同じ村が敏達紀では「和陀(わだ)」、推古紀では「委陀(わだ)」となっている。「委=和=倭」の関係が成立している。

 ただし「委」が「わ」と読めたとしても、「倭」も同様に「わ音」だったのかという疑問が生じるが、『日本紀』神代紀の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が最後に生んだ「少宮」の訓み方を「柯美野(かみや)と云う」と分注をつけていることから、古代の倭人(やまとびと)が「倭(uar)」の中国音を「わ(wa)」と聞き取っていたことがわかる。

◆「委」は「倭」の略字

音の相似と同時に「委」を「倭」の略字とみることも出来る。

 上表のとおり、中国の金石文や文献にはよく略字が用いられている。 

 おまけ!

 「帝紀」の「俾弥呼」が本字で、倭人伝の「卑弥呼」は略字の可能性もある!