旁国21か国の比定:8月勉強会③ | 生野眞好の日本古代史研究会記録

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「魏志倭人伝」や「記紀」などの文献史料を中心に邪馬台国の位置、ヤマト王朝と先興の奴国王家との攻防(宗教対立)と共存などの検証です。

 8月勉強会概要の③です!

 

 3 其の余の旁国二十一か国の比定

 「邪馬台国=糸島平野説」にとって卑弥呼が統治した「銅鏡祭祀圏30国」の所在地を比定もしく特定することが重要!

 その30国の内、邪馬台国までの9か国については、ほぼその所在地を比定出来ているが、問題は「遠絶にして詳細を書くことが出来ない」と記された「其の余の旁国二十一か国」の所在地である。

 伊都国と邪馬台国の密接な関係から21か国を比定するヒントが見えてくる!(現時点では仮説だが、可能性はあるはず・・とのことウインク

 

魏志倭人伝

 女王国より以北、其の戸数道里略載するを得可(うべ)しも、其の余の旁国は、遠絶にして詳らかにするを得ず。

①斯馬(しま)国 ②巳百支(いはき)国 ③伊邪(いしゃ)国 ④都支(とき)国 ⑤彌奴(みな)国 ⑥好古都国 ⑦不呼国 ⑧姐奴国 ⑨對蘇国 ⑩蘇奴国 ⑪呼邑国 ⑫華奴蘇奴国 ⑬鬼(き(け))国 ⑭為吾国 ⑮鬼奴(けな)国 ⑯邪馬(やま(やめ))国 ⑰躬臣国 ⑱巴利国 ⑲支惟(きく)国 ⑳烏奴国 ㉑奴(な)国 此れ女王の境界の盡(つき)る所。

(※国名の訓みは暫定的)

 

旁国二十一か国を比定するための前提と条件

 ① (前提)卑弥呼の30国の領域は、出雲の奴国以西でほとんど九州  内とする。

 ② 21か国の書き方は、「次に有り」の連続で、最後が「此れ女王の境界の尽きる所」と書かれているので、何らかのルートがあるのでは?

  仮に、ルートがあるとすれば、スタートの「斯馬国」もしくは最後の「奴国」の場所は重要。(書き順が解る可能性)

 ④ 、邪馬台国と伊都国が一緒に倭国大乱(銅鐸(ヤマト)と鏡(奴国)の宗教戦争)後、糸島平野に遷ったとすれば、その(大乱)前もこの2か国は隣接していたはずなので、その祖国の所在地が解れば他の国々の比定も比較的しやすくなる!

 邪馬台国と伊都国の祖国は、甘木朝倉地方と耳納連山の北側一帯の久留米市の高良山一帯?(筑後川流域一帯があやしい)

 ただ、伊都国と邪馬台国が糸島平野に遷ったとした場合、祖国は別の名前になっていると考えられるので、その比定は難しいチーン

 ⑤ (前提)卑弥呼の時の30国は、後の「2郡」程度の範囲と考えられるが、人口の多い奴国(福岡)や、面積の広い日向などは3~5郡程度の範囲と考えられる。

 

 

 上記のように「魏志倭人伝」に記載された当時の国名は、神武による全国平定後の国県制となり、やがて国郡制へと変化した。

 「和名抄」で九州内だけの卑弥呼統治下にあった地域は、肥後と大隅薩摩を除くと61郡となる。61郡を単純に2郡で割ると、30.5国となり、卑弥呼の30国は九州内に収まる。実際は2郡ではなく3~5郡に分割された国(福岡の奴国や日向(投馬国))もあるので、九州内には25国前後があり、残りは本州の長門国、岩見国、出雲国などが卑弥呼の統治下にあったと考えられる。

 

 

  あぁ、疲れましたゲッソリ  続きはまた後日・・・