ひでです。お早うございます。お待たせいたしました。来月2月に行く旅のお話です。

私の西洋で特に気に入ってるのは、ギリシャ神話とロムレスとレムスから始まる古代ローマとヴェネツィアとオスマン帝国皇帝メフメト二世と聖ヨハネ騎士団とカルタゴのハンニバルなんです。多分に塩野七生の本から知識を得ている側面もありますけど。

イスタンブールへ行ってメフメト二世の偉業を見て、マルタに行って騎士団を見て、クロアチアのスプリトではローマ帝国の片りんを見ました。本命のイタリアはお高くて、まだまだ行ける身分ではありませんが、その周りから着々と埋めていこうと思ったりして~。笑

塩野七生でまだ残っているのはハンニバルです。

ハンニバルと言えばカルタゴ。カルタゴと言えば今のチェニジアに有りました。そのハンニバルの象兵がアルプス越えをして古代ローマ帝国を恐怖に叩き込み、滅亡まであと一歩まで追い詰めますが、カルタゴ本国との意思の疎通が悪く、補給・補充が滞っていた事とローマの友好国がローマに反旗を翻さなかったことで手詰まりになって行きます。

ハンニバルとの戦いが停滞しているなかで、ローマの執政官スピキオ・アフリカヌスはハンニバル軍の本拠地、ヒスパニア(今のスペイン)のカルタゴノヴァを攻め、それからカルタゴ本国を攻めたんです。カルタゴ側はハンニバルを呼び寄せ古代ローマ帝国と一大決戦に臨みました。

それが、チェニスの南部で行われたザマの戦いです。この戦いで古代ローマ側に付いた傭兵のヌミディア国王マシニッサの活躍でハンニバルは敗れ、多額の賠償金の支払いなど、カルタゴはローマ帝国の属州のような立場になってしまいます。

そんな中で、行政の長となったハンニバルの獅子奮迅の働きと各種行政改革のお陰で、多額の賠償金も早々と支払うことが出来ました。

いち早く立ち直ったカルタゴに危機感を抱いたローマ帝国に命を狙われたハンニバルはシリアに亡命し、最後は追い詰められ自害して果てました。

カルタゴ本国も徐々に力を盛り返すと、それを恐れたローマ帝国に宣戦布告されます。カルタゴは戦う意思がないことを示すために全ての武器を引き渡したにもかかわらず、ローマ帝国はカルタゴを包囲し、第三次ポエニ戦争が始まりました。

しかし、カルタゴにはハンニバルはもういません。野戦でローマ帝国に簡単に敗れると、ローマ帝国は6日間かけて都市を徹底的に破壊し、住民を殺害したといいます。そして残った住民は全員奴隷として売られたと言うことです。

廃墟となったカルタゴの地は完全に破壊された上、さらに呪いをかけられ、さらに2度と立ち上がれないように地面に塩が撒かれたと言われています。

以前、シチリアのアグリジェント神殿の谷へ行った時に現地ガイドの陽子さんにカルタゴの遺跡の有無を伺った時に「カルタゴは怖いから全て壊されて何もないわ」て言っていました。それほどローマの人にカルタゴ=ハンニバルは恐れられていたんです。

完全に破壊され、現在見れる遺跡は古代ローマ帝国の遺跡だけでしょうが、カルタゴの匂いでも嗅げれば嬉しいんです。笑

「陽沈む国へ」は日を改めて。

 

よかったらポチッとお願いします。

↓ ↓ ↓

にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ
にほんブログ村

にほんブログ村 旅行ブログ 車中泊の旅へ
にほんブログ村