ひでです。お早うございます。勝山御殿は4月23日に行ったお城です。
場所:山口県
城主:長府藩主毛利元周(毛利元就から13代目)
石高:5万石
別称:なし
来歴:長州藩の支藩だった長府藩(長州藩とは豊臣秀吉によって、直接毛利輝元の養子となることを承認された毛利秀元でしたが、後日の争いを避けるために「輝元に男子が生まれた場合には分家すること」という条件の下でした。その後、運悪く輝元に嫡男が誕生したため、秀元は廃嫡され、輝元から所領を分知されて大名となりました。)が、馬関戦争による外国船の砲撃で、藩庁が砲撃される恐れがあるので築かれました。
幕末に長州藩が関門海峡を通る外国船を砲撃したのが馬関戦争です。この時長府藩の藩庁は海に面した「櫛崎城」にありました。
報復のためフランス軍の砲弾が櫛崎の町へ着弾します。城を越えて砲撃されたことに脅威を抱いた長府藩は藩庁を内陸へ移すことを決め、内陸部の勝山山麓に藩庁を移すために突貫工事が始まりました。
7か月後には立派な居館が完成したそうです。天守閣は築かず御殿だけです。
駐車場が本丸西側にありましたのでここから登城しました。
御殿ですが立派な石垣で鉄壁の防御を図っています。
広い本丸御殿にあとは公園として利用されていました。
小さな遊具もありママ友会議でしょうか?
ミツガシワという珍しい植物もありましたが
初めて聞く名で、へ~です。
本丸奥は小さい池になっていました。
そこから勝山に登れるようになっていました。
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