ひでです。お早うございます。櫛崎城には5月12日に行きました。
場所:山口県
城主:大内氏→毛利秀元
石高:5万石
別称:勝山城
来歴:長府藩の居城として、藩祖毛利秀元が整備しました。秀元は毛利元就の4男の子で、子供の居なかった毛利輝元は、最初は秀元を養子として後継ぎにしますが、その輝元に男の子が生まれたんで秀元は世継ぎを辞退しますが、それまでの経緯から毛利家で重きをなし、その後、色々な戦いで活躍しました。
その功で、当時100万石を越えていた毛利本家から長門の国17万石を分けてもらい立藩しました。
関が原の戦いでは実質的な毛利の総大将として南宮山に上りますが、麓に居た吉川広家が東軍に内通し動かなかったため西軍は敗れてしまいました。
幕府から責任を問われ毛利本家は112万石から30万石に大減封され、広家も改易されてしまいましたが、本家から長府を分地され、長府藩を立藩しました。
因みに、吉川広家も岩国藩ですが、あちらは幕府から正式な許可を得ていないので藩内藩という事になりますが、長府藩は正式な藩として認められていました。
関見台公園の駐車場に車を止めて・・・・止めるまで迷った迷った。笑
石段を登ります。
こんな感じで、今は埋め立てられているんで分かりませんが、昔は突き出した岬の上にお城が有りました。
後から行った歴史博物館にも昔の地図が有りました。
石垣が見えてきて、その先に・・・
天守台が有りました。
天守台からの風景です。雨に煙って分かりませんよね。
遠くうっすらと関門橋が見えました。
秀元が築いた城ですが、馬関戦争で外国の標的となり、内陸部に勝山御殿を築いたので、その役目を終えました。
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