もしかしてファザコン?・・・父のこと⑤ | もうそろそろ幸せになっていいんじゃない?40歳からのこじらせ大人女子さんへ・あなたのstoryを明るくchange

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今までの辛いパターンを手放し、もっと軽やかに女性性を楽しむ
心の癒しとコーチングで40才からの私happyスタイルみつけましょ

みなさん、こんばんはー

 

happyスタイルコーチ・吉田 浩子です

 

 

 

 

つづきです

 

 

 

前の話しを読んでないあなた

前の記事も読んで下さいね

もしかしてファザコン?・・・父のこと①

もしかしてファザコン?・・・父のこと②

もしかしてファザコン?・・・父のこと③

もしかしてファザコン?・・・父のこと④

 

 

 

 

父の病気が悪化し、身の回りの事は全て出来るのですが

家に訪問看護やケアマネージャーさんが来るようになりました

 

 

 

 

父は、看護師さんやケアマネさんにはとっても穏やかで紳士でした

面白い冗談も言えるし、お菓子を差し上げたり

優しい会話もしてました

 

 

 

 

私は、自分に必要な人には優しいのね

って、それでもハスに父の事を見てました・・・が・・・・

本当は、父の性根の良い所である事は知っていたのです

 

 

 

父は出来る限り、自分の事は自分てしようとがんばってました

(母が生きてた頃は、私にも母にもなんでも甘えていたのに)

どんな辛い治療も、ほとんど愚痴を言いませんでした

 

 

 

そこも薄々立派だなって思ってました

薄々・・・です

怒りや、恨みで認められないのです

 

 

 

 

そして、亡くなる一ヶ月前に、その訪問看護師さんの病院に入院しました

近所です

 

 

私はその頃、父の事で心身ともにヘロヘロでした

 

 

母は告知されてから亡くなるまで一年半でした

母の事は大好きだったので、悲しかったのですが

なんとか延命して欲しい気持ちで

母を支えようとがんばりました

 

出来る限りのことをしたと思います

(それでも後悔したり)

 

 

 

けど、父の時はまた違った辛さがありました

 

一人の老人として父を見た時

長所もわかるし

かわいそうだなとも思うし

 

もっとしてあげたい・・・と思うけど、なんだかつれない態度をとってしまう私

 

 

精一杯支えながらも、心の中は葛藤だらけでした

 

 

 

一体、私はいつまで反抗期をするのだろう・・・と

冷静に思うのですが

出来なかったのです

(ここは後々罪悪感となり、今も癒しの途中です)

 

 

何より、ヘロヘロになりながらも自分しかお世話をしてるメンバーが

いない・・・と言う気持ちは

本当に、心身を追い詰める形となりました

(私もこじらせ地球防衛軍女子)

 

 

 

またまた、次につづきますね

 

次回が最終回になるかと思います

 

 

今日もお読みいただきありがとうございます

 

 

ではでは~