何かと騒がしい国会の震源地は、今回の東国原発言。
考えてみたら、彼らしいパロディーであり、また本気で国を変えたいという思いもあるのでは?と見て取れる。
「何を馬鹿な!」などと言う与党の中には、権威ばかりが先に立ちその権威に気付かぬ間に酔いしれてしまっているのでは?
知事には、そんな国民不在、失政に苦しむ、今のまともでない地方分権や国のあり方を一度リセットしたいという思いがあるのではなかろうか?
だとすれば、彼を「取り合う・取り合わない」と、目くじらをたてている与党のあたふたぶりを当てこするより、
民主党も、いっそこの際、彼を「与党が受け入れるキャパもないのなら、民主は本気で国を変えるのに身を賭す彼のような新鮮な血液を受け入れるだけの心づもりはある」くらい、発言したらどうでしょ。
顔ぶれが、いっこうに変わらない民主も、この混乱を上手に活かして、発言してみては?
知事のこれまでを見て来て、確かに宮崎のイメージは刷新されたものの、まるごと認めるつもりはないけれど、国民誰もが変化を求めていることは確かであり、
その行動力とうねりが国民を変えるぞと、つないでいけば
彼のパロにも、大きな意味が出てくるし、民主の懐の深さ(ただただ、政権末期と対岸の火事ではない事)をアピールできるというもの。
今回のことのみならず、国民の政治感心を活かす取り組みを もっとしっかりしたらどうでしょ。
せっかく一石を投じられたのですから・・・