週刊 姫路モノレール -34ページ目

15年ぶり

 

どうもです。

 

少し前の事となってしまいますが、1月14日日曜日成人の日、前日のお話し。

 

この日は姫路市内にて午前中は妻に、午後からは自分にも所用があったため

休日にしては珍しく?2人そろって9時過ぎから姫路へと出かけたのでした。

本来今回のような予定の場合、午前の妻の所用のための送り迎えをしてから

午後より自分の所用を終わらせて姫路モノレール跡散策、とやるところです。

 

しかしながら上記のような行程になると、せっかく姫路にいるのに1度帰宅して

自分が午後よりもう1度姫路へ行くという形となるため、妻から自分への提案で

姫路モノレール跡散策に付き合うから、昼食を外で食べたいという案でした。

 

先にあった妻の用事を済ませても、まだ11時になっていない時間だった事から

先に早めの昼食にするか、姫路モノレール跡にするか、妻にたずねたのです。

自分としては、妻から返ってくる答えが、「先に昼食。」 と予想していたのですが

以外にも、「時間も早いし、先に姫路モノレールに行こう。」 との答えでした。

 

意外な答えとも思いつつ、手柄山の 「姫路市文化センター」 横の駐車場に停め

顔見知りの職員さん警備員さんにわからないよう、妻に少し離れるように言って

妻にとって始めての、「手柄山交流ステーション」 となったのでした。

 

てなわけで今日の写真は

撮影日は2019年1月14日と2004年5月22日。

 

少し離れてと言っていたものの、見えない所で車輌の前で記念写真撮りましたが

写っている妻を修正すると画像の半分が隠れてしまうため掲載はボツに。

 

外では 「石見 元秀 氏」 元姫路市長銅像前で。

 

交流ステーションを出て姫路モノレール跡に沿って歩いて姫路方面へ目指すも

JR線手前にて、「お腹も空いたし疲れたから昼食に行こう。」 と妻から提案が。

「まだ半分くらいしか来てないよ。」 と自分が答えるも、妻が引き返し始めます。

 

この日最後に撮影しました、JR線手柄山側にあります 「大将軍陸橋記念碑」。

妻が急に引き返し始めたため、記念碑が見切れてしまっていますが…。

 

ここで、なぜ妻が先に姫地モノレール跡に行こうと言った意味がわかりました。

「先に姫路モノレール跡に行った方が昼食を理由に早めに切り上げられる。」

妻が本当にそう思っていたのかはわかりませんが、これにて終了となりました。

 

自分が姫路モノレール跡に興味を持ち、散策、撮影を始めてから今年で15年。

 

思い返せば15年前の 2004年5月22日 、自分にとって姫路モノレール跡は

自分より姫路駅周辺の地理に詳しかった妻の案内で始まったものでした。

 

遠目からモノレール跡を見る15年前の妻。

 

今では撤去されてなくなってしまった所も多々あって。

 

モノレール跡は残っていますが、なくなってしまった 「山陽色素さん第二工場」。

 

解体されてしまった 「高尾アパート 大将軍駅跡」 。

 

駅名標も撮影していました。

 

短大卒業後、姫路市内の会社に営業職として就職したため外回りの機会も多く

2004年当時は自分よりも姫路の地理に関しては詳しく、駅前の駐車場事情や

姫路駅から手柄山への道も知っていたため、自分が案内を頼んだのでした。

 

もちろん、今では姫路駅から手柄山までの限定なら自分の方が詳しいですが…。

 

そんな過去も有り、普段妻に姫路モノレール跡に関して迷惑をかけているため

なかなか妻の言う事には逆らえない、といった立場の自分なので仕方なしかも。

 

それでも、自分の休日は自由にさせてもらっているので不満はありませんが…。

 

それではまた。