週刊 姫路モノレール -208ページ目

第二工場の歴史とその行く末


どうもです。


5月2日付けのブログ に解体終了と書きました、「第二工場」 のまわりを

囲っていた足場と防音シートが外され撤去されました。

囲っていたシートと足場がなくなると、レンガ造りの工場の敷地が見渡せ

今ではすっかり姿の変わったレンガ造りの工場跡を見る事ができます。


工場解体でできた レンガの山 は、そのまま産業廃棄物として運ばずに

解体後はその場で、それ専用の重機によって細かく砕かれました。

そして工場敷地内には、砕かれたレンガやブロック、コンクリートでできた

紅白の山がいくつもでき、やがてその山は地面にならされていきました。


実は今回解体された 「山陽色素」 さんの第二工場、以前 当ブログ では

「山陽色素」 さんの HP の 「会社沿革 」 を参考にして 「1948年完成」 と

書いた事がありましたが、その後、読者さんからコメントでのご指摘があり

「山陽色素 第二工場」 となる前に、「日産農林マッチ工場」 さん跡として

すでに 「船場川」 沿いにレンガ造りの工場跡があったとの事です。


読者さんからの情報を元に書くと、「日産農林マッチ工場」 さん工場跡は

1901年 ( 明治34年 ) の地図にレンガ造りの工場がすで記されており

この事からレンガ造りの工場は、それ以前の建物という事になります。


「船場川」 の横に建てられて百十余年?姫路モノレールと並ぶ事47年。


長い年月の間、「船場川」 を挟み、姫路モノレール跡と並んで建っていた

レンガ造りの工場は、解体され砕かれて、大地の元となったのでした。


てなわけで今日の写真は

撮影日は画像右下に記しております。


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最後まで残っていた 工場跡 もすぐに解体され、これもレンガの山に。


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変わってしまった 「千代田橋」 からの眺め。


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「千代田橋」 の北側にある、「岬橋」 からの眺め。


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工場跡敷地には砕かれたレンガの赤い大きな山と


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こちらはレンガの小さな赤い山と、砕かれたブロックでできた白い山。


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それら元工場だった残骸は地面をならすために使われるようです。


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レンガを砕く作業中の重機とユンボ。


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工場敷地の片すみにあった 鳥居 も取り壊され

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敷地内で唯一、祠 ( ほこら ) だけが残され寂しく立っています。


以前に聞いた話では、この後この工場の跡地には、「山陽色素」 さんの

新しい工場が建てられるとの事でしたが、そうならこの砕かれたレンガは

これから建てられる新しい工場の土台となってしまうのでしょう。


もしそうなら、レンガ造りの 「山陽色素 第二工場」 はこれからも姿を変え

「船場川」 沿いの姫路モノレール跡と共に残っていく、と言えるのかも?


とは言っても、姿形が変わってしまったレンガ造りの工場の成れの果てと

変わってしまった 「船場川」 沿いの風景を見る限り、そうも言えないか。


それではまた。