みなさん、こんばんは
”また会いたくなる” 心理カウンセラー
『ホシメグ』です
本日もお読みくださって、
ありがとうございます
前回更新してから、4年の月日が
経ってしまっておりました
本当に久しぶりの投稿…
見てくださる方がいるのかどうか
完結していなかった、介護の記事…
今更ながら、書かせていただきます
前回の、介護のお話しはこちらから
MY STORYは、一覧から
ご覧くださいませ
~~~~~~~~~~~~~~~~~
桜も散り始め、新緑の季節
お花が、咲き誇る季節でもありますね
寒暖の差が激しい毎日ですが、
みなさん、いかがお過ごしですか
それでは、前回からの続きです
ある場面に関しては、
認知症で、全く分からなくなって
いた方が幸せなのかもしれない...
というお話しをしましたが...
実は、
認知症の方でも、そういうところは
敏感に感じ取られていて、
わかっている方も、多くいらっしゃい
ました
また、認知症はなく、
状況が把握できている方の中には、
施設から追い出されないように、
嫌われないように、
文句を言っちやいけない
うるさいことを言っちゃいけない
いい子にしてなくちゃいけない
そんな我慢をしている方も、
見受けられたりします
家庭、家族内にはすでに居場所はなく、
居場所を失うことに対する不安、
孤独感、恐怖、焦燥感...
自分の無価値感、無力感、
これ以上傷つくことに対する恐れ...
家にいても、
家族との関わりもなく、自室に
いることしかできないなど、
様々な問題を抱えています
自分は邪魔にされている
お荷物になっている
いらない存在なんだ…
そう思われているのが、痛いほど
伝わってきて、涙が出てしまいます
言葉にできる方は、まだ良いですが、
言いたいけれど、言葉にできない、
ならない方も、
大勢いらっしゃいます
そんな気持ちを察して汲み取って
あげられたら…と思いました
こうしたやりきれない想いを抱えた
まま、最期を迎えるのは、
あまりにも哀しく、切なく、
心が痛んでしまったのでした
他人がどんなに愛情を注いでも、
やはり
”家族でないと満たせない想い”
があります
取って代われないものが、
あるのですよね
人間だれもが、例外なく歳を取ります
自分の両親に介護が必要になった時、
また、
自分自身が年老いて介護が必要に
なった時、
そんなことを想定しながら、
一人ひとりが、
”他人事ではなく、自分事として”
どうであればよいのか?
そのために今できることは何か?
を考え、行動していく必要があるの
ではないでしょうか
私は、介護に関して素人ですので、
認識に誤りがありましたら、
先にお詫びいたします
あくまでも素人の視点で、感じたこと
を、書かせていただきました
小さな施設でしたので、朝食作りも
するのですが、
「あらっ、朝からこんなにご馳走を
沢山いただいていいの」
と、少し申し訳なさそうに、
とても嬉しそうに、完食してくださる
お婆ちゃま
とっても可愛らしく、それを見ていて、
私も、何だか嬉しくなりました
たとえ、記憶からすぐに消えてしまう
としても、
一瞬、一瞬、わずかな時間でも
幸せな気持ちを感じてもらえたら
それが嬉しい
そう、心から思ったのでした
勤務時間を過ぎても、認知症の方の
お相手をしていると、
「キリがないから、ここは任せて
帰りな」
と、引き受けてくれる、カッコイイ
お婆ちゃまも
ちょっと危なげな、他の方の行動を
見守っていて、
変化があれば、逐次教えてくださる
お婆ちゃまも、いらっしゃいました
みなさん、とても心温かく、
本当に素敵な方ばかり
ですが…
とても哀しいお話も聴きました
この通所施設では元気だった方も、
特別養護老人ホームへ移り、
2~3か月経つと、
亡くなったという連絡が入ることが
多いとのこと
特別養護老人ホームについては
詳しくないので、
推測になってしまいますが…
特養は、あくまでも生活の場
施設にもよると思いますが、
デイサービスのように、
みんなで楽しむレクリエーションや
イベント、お食事会なども
ないところも、多いのかもしれません
一人ひとりのお話しを聴いてもらえたり、
受け止めてもらえることもなく、
心の通ったケアを、受けられていない
のかもしれません
お散歩などに出ることはあっても、
人と触れ合ったり、刺激などもなく
お部屋に一人こもりきりになることも
多いのかもしれません
そんな施設ばかりではないのでしょうが、
そういう施設も多いのかもしれない
介護施設は人の入れ替わりも激しく、
重労働…
精神的にも、肉体的にも
本当に大変な職場なので、
一生懸命やってくださっていても、
ひとりひとりに、親身に対応できる
心の余裕は、
持ち合わせていないかもしれません
最低限のことをするだけでも、
いっぱいいっぱいなのだと思います
うちの父方の祖母も、当初長男夫妻と
一緒に暮らしていましたが、
事情があり、最期は特養で過ごす形と
なりました
その後、しばらくして
食後の誤嚥に気付いてもらえず、
発見された時には、亡くなっていた
何が良い、悪いとは言えません
ですが、やはり、
最期は家族で、感謝の気持ちと共に、
温かく看取ってあげられたら…
それが、一番幸せな形だと思います
北欧スウェーデンでは、
福祉サービスが充実しているので、
地域サービスを利用しながら、
過剰な医療は施さず、
最期まで自宅で過ごす
というのが、一般的なのだそうです
日本では、
多くの場合、医師が主導権をもって
いて、すぐ投薬・治療ですが
スウェーデンでは、介護士に大きな
権限が与えられていて、
認知症の場合、薬を使うよりも、
”本人がどんな助けを必要としているか”
汲みとることが、重視されています
子供に面倒を見てもらうという
発想もなく、自立しての生活です
ここも、日本とはまったく違うところ
ですね
これから、益々の高齢化社会
考えさせられることが、
沢山ありました
まだまだ、お話ししたいことが
山ほどありますが、
介護のお話しは、一旦ここまで
“他人事ではなく、自分事として捉え”
思考し、行動する
それが、とても大事ではないでしょうか
私が、師である加藤好洋さんから
教わった、大切な教えです
~~~~~~~~~~~~~~~~~
本日も、最後までお読みくださって、
ありがとうございます
今後とも、応援どうぞよろしくお願い
いたします
”いいね”や”読者登録”
とっても励みになります
いつも、ありがとうございます