日本において、Apple社というのは実はそこまで歓迎すべき存在ではないのかもしれない
それは、日本の企業であるSONYの立ち位置にきわめて近い立ち位置だと言えるからだ
Apple社がマッキントシュで失敗する前からの話でもあるが、iPodで大成功するまで、あらゆる意味でSONYの製品開発は非常に強かった
それまで、無類の強さを誇ってきた携帯型の音楽プレイヤーの市場においての逆転劇の話はあまりにも有名な話である
SONYが生み出したウォークマンは国内でも海外でも売れた製品で、SONY製品の中でも重要な立ち位置を占めていたと考えられる
決して、金のなる木とは言えないが、SONYがSONYであるための製品とも言える製品の一つだろう
逆に言えば、なぜ逆転できたのかということについて考えなければいけないが、当時の記憶としてはMP3オーディオやMDといった製品がごちゃ混ぜになり、極めて複雑な関係図になっていたと思う
また、当初のiPodは非常に使いづらい製品であり、MacのPCでなければ使えないという制約が存在した
あくまでも、大ヒットの要因となったのは、Windowsにも対応したこと、さらには音楽を情報という形で購入できるiTunes、HDDの小型化という比較的最先端の技術の応用などがその一つだと言える
私が考えたいのは、音楽プレーヤーではく、iPodにファッション的な付加価値を生み出したという点について考えたい
SONYは、音楽を外で聞く=若者のオシャレという付加価値を生み出すプロモーションが功を奏した部分である
しかし、あくまでもSONYは差別化ではなく、売り込みの一環、今までない製品の価値を認めさせる戦術だったと言えよう
しかし、iPodの場合は、その全てが差別化のものなっている
iTunesによる顧客の囲い込みもさることながら、付属のイヤフォンにもある種の価値が生まれたことも成功の要因のひとつだ
さらには、iPod自体がファッション的な要素を生み出すようになった
これは他社製品に対して、強みになりうる
場合によっては様々な考え方ができるが、プロモーションという意味での成功要因はここにある
ただ、私の主張としてはここからが本題だと考えてほしい
Apple社のマッキントシュとMicrosoft社のWindowsの構図は、ベータとVHSに極めて酷似している
一点違う部分としては、SONY側は決して、SONYしかベータを作れなかったわけではない
反面、マッキントシュはAppleしか作れない
この点だけが、違う面で技術力勝る製品がプロモーションで敗北を喫したという面では酷似していると言える
私が考えるApple社の最大の強みは、ソフトウェア開発とハードウェア開発の両面で優秀だと言うことだ
ただ、このような強みは他社にも言えることで、Panasonicは電工やNationalを一つにまとめ、生活を基点とした事業を進めているし、逆に液晶という強みを活かしたシャープは垂直型に事業を展開してきた
Appleは基本的に自社の考える製品を他社に依存せずに開発できるというのが強みだと言える
ただ、初期のパソコンにおいては、この強みが弱みに転じたとも言える
Windows95という画期的な家庭用パソコンが大ヒットしたが、これにおいては機能的な側面はさほど強くないと言える
これは明確な点を挙げることができないが、ただ一つ言えることは、いかにマッキントシュが優秀な製品でも、所詮はApple社の一社から販売された製品にすぎない
逆に、Microsoft社のWindowsはハード面の開発には触れず、一定の規格の中で他社にハード面は依存した
構図としては、Apple社VSその他になってしまった
ただし、これだけでは機能面での強みを持つマッキントシュが負ける要因にはなりえない
基本的にApple社はソフトウェア開発も自社でできるが、ソフトウェアにおける囲い込みに失敗したというのが最大の要因と言えよう
結局はいかにハードが優れていても、ソフトがなければそのハードに価値はない
あくまでもパソコンとはハードであると実証された例だろう
ソフトとハードの開発ができても、ソフトとハードを抱えた製品であるパソコンは所詮ハードだったと言える
ただ、Apple社は別の価値創造で製品価値を進め、現在までパソコンという面では生存してきたと言える
あと数年経つとパソコン市場が少し賑わうかもしれない
近年、フリーソフトなどの進歩が進み、Microsoft社のオフィスソフトの価値が低下している
また、OS開発に非常に資金がかかり、それでもある程度価格を抑えなければならない
これは、パソコンの需要が高まった際に、多売を目的とした部分だろうと考えられる
その反面、オフィスソフトの開発はそれほど資金はかからないと仮定できる
だからこそ、模倣困難性がなかったのだとも言える
つまり、Microsoft社は、OSよりもオフィスソフトなどで利益を回収していた
これは、ソフトウェアに強みがあったMicrosoft社が今までの強みが弱みに転じたと言える
一転して、Apple社は息を吹き返した
ジョブズがAppleに戻り、様々な製品を世に送り出した
まず、前述のiPod
次に、携帯電話にiPodの機能を付随したiPhoneである
前述のように、Apple社の強みは、ソフトウェア開発とハードウェア開発の両面ができること
つまり、パソコンに依存する必要がない
だからこそ、モバイル関連の開発で大きな強みが合ったのだと言える
また、アンドロイドとiPhoneの最大の違いはその安定性にあると言えよう
他社はOSに対する理解、知識が開発という最先端のAppleに対して、一歩二歩遅れている
アンドロイドが優秀なソフトであろうと、ハードがそれを動かすのに十分だとは言えないものならば、その性能を発揮することができない
iPhoneという製品がApple社における強みを最大限に発揮した製品と言えるだろう
もちろん、Apple社も1~10までの全てを開発しているわけではない
部品などのコアな部分では、他社に依存しているが
それでも、他社に真似のできない製品開発ができる会社だと言える
Apple社の台頭で最も被害を受けたのはSONYだと言える
私は今でもSONYはハードウェア開発では世界一の企業だと考えている
Apple社の製品への構想は、SONYでもかなり前から進められていた
新型音楽プレーヤー、音楽プレーヤーと携帯電話の融合などの構想は既にSONYには存在していた
しかし、単純に遅かった
これが原因である
さらに言えば、SONY製品は極めて模倣が用意である
それはソフトウェア開発を他社に依存しているからだ
ソフトウェアの企業が他社にそれを販売することで、容易に模倣できる
それは今までの歴史の中でも明らかなことだ
結論として、Apple社はソフトウェア開発とハードウェア開発の両方の開発ができる
このことで、ソフトウェアに合ったハードウェア開発ができるため、高性能で模倣困難な製品が開発できる
さらには、製品開発スピードが異常に早い
これが成功の要因だと考えられる
別に他社が劣っているわけではない
この点に関して、優れた企業だっただけだ
それだけで企業の成功要因となると私は考える
逆に、SONYが今までハードウェアで多大な成果を挙げていたのは、今までにない発想の製品を世に送り出す量と速さが速かった
この一点である、逆に松下のようにマーケティング的な強さを誇る企業は、初期の製品開発では一歩劣っても後から巻き返せる
SONYはスピードがかなりの部分を支えていた
ただ、それより速い企業が台頭してきたそれだけである
企業経営は実に難しい
強みが弱みに転じることも多く
どのように経営しても失敗も成功もある
それだけに経営者の判断や企業の特性、組織構造がどう生きるかを考えることはとても重要なことだと感じた
日本の会社は、無料だと思っているものがいくつかある
この話をする前になんとなく最近思っていることを述べる
根本的にコストダウンのための人件費の削減は、ある一定の成長を遂げた企業ならば仕方のない部分ではある
GEのように会社の新たな成長の為のリストラはある意味では経営者としては正しい
ただ、雇用が大幅に減るということは、その分消費が減少することである
だからこそ、新規事業を立ち上げ、新たな雇用を増やし、消費を増やさなければいけない
しかし、新規事業を立ち上げるということは、とどのつまり資源を消費すると言うこと
資源は所詮限られたものであるからして、資本主義の競争原理は資源の枯渇を招く
この間、グリーンベンチャーサミットというイベントに参加したが、世界各国的に自然エネルギーに注目しているということ=資源の枯渇の可能性があるということになる
資源といった所でそれはかなり広義的な意味になるが、まぁ鉱物資源や石油などのことと広い意味でとらえてもらえればありあがたい
個人的に、雇用を増やすということは社会貢献としては重要なことだと捉えている
そのために新規事業への参入への支援は国がしていかなければならない部分であると考えている
近年、日本がIT分野で成長できたのだが、IT分野で大きく成長した会社の社長は技術系ではなく、極めて資金調達が巧みな人種になる
孫正義、堀江隆文、三木谷浩史など
日本のITの企業の全てがM&Aを巧みに利用した会社ではないし、彼らもシステム的に優れていないわけではないが、逆に言えば、日本における企業の成長がかなり限定されてしまったものになってしまった可能性も否定しえない(まぁ、IT企業の社長たちは投資に力を入れているので一概には言えない
まぁ、話を広げてしまったが、ただ単に今回は日本人が無料だと思っている部分に関して触れていきたい
私は、コンビニで2年以上、某牛丼チェーン店で1年ほどアルバイトをしているのだが、基本的に接客業というものが嫌いだ
演歌歌手である三波春夫が言った「お客様は神様です」という言葉を過大解釈して、接客業に取り入れた企業というのは多い
元来、買い物とはそういうものだったのだろうか?
八百屋、魚屋、肉屋の数がまだあった時代、売り手と買い手はそこまで力の差があったのだろうか?
買い手の交渉力がそこに存在していたが、売り手の情報や製品価値などの面もあり、かなりの部分で拮抗もしくは売り手の方が強かった
コンビニや飲食店に関して、果たして買い手が強い理由などが存在しているのだろうか?
一つ言っておきたいのは、コンビニはその利便性を売っているのであって、決して接客を売っているのではない
接客が素晴らしいからまた来たいという感情はほぼ生まれないし、逆は存在するもののそれはただ客が不便になるだけ
客がたまに言うのは、「お客様は神様じゃないのかよ」と馬鹿そうな未成年のガキに言われたが
基本的に夜勤をしている身で言わせてもらうと法律的に君は客ですらないというのが個人的な解釈で
警察からもできるだけ通報するように御用達が来ているので、彼は客ではないのは間違いない
そんなことはどうでもいいのだが、企業は客を神だという、客は自分を神だと主張する
どこかの宗教か?
個人的に言わせてもらえば、給料が歩合制でもないし、そんなことしたら立地条件で財布が崩壊するのだが、基本的に素晴らしい接客=自分の収入の公式が成り立たない以上、私が接客に力を入れる理由そのものが存在しない
あくまでも、接客に力を入れたいならば、企業もその分の価値を給料に入れるか、もしくはチップ制を導入すべきか、または接客業という仕事に価値を作り就活などに優位性を持たせるかなどを考える必要がある
まぁ、こんなことはどうでもいいのだが
昨今、女性誌などについてくる付録がある
多分、昔からあったのだろうがあれを何故販売店の方で巻かなければならないのか不可思議な問題である
単行本のビニールテープなどは製品の劣化や立ち読み防止目的で販売店が勝手にやっていることなので何とも言えないが
付録は、出版社が本売るために勝手にやっていることのため、向こうで完成品を作って配送すべきである
この辺を解釈するに
作るだけ作って、その責任はとらない
実に最低な考え方である
結局のところ、接客業も出版社も主張するだけで中身が存在しない
実際のところ、接客業の接客などどうでもよく、騙された従業員ががんばって仕事をすればいいと考えている
本来、接客業に価値を出している飲食店などの料理は高く、ホテルも接客が重視されていれば、その分値段が高い
そういった価値を否定しているのではないかと過大な解釈をしてしまう
「言うだけはタダ」
これはよろしくないと思う
主張するならば、その分の責任をとるべきだと私は思う
この話をする前になんとなく最近思っていることを述べる
根本的にコストダウンのための人件費の削減は、ある一定の成長を遂げた企業ならば仕方のない部分ではある
GEのように会社の新たな成長の為のリストラはある意味では経営者としては正しい
ただ、雇用が大幅に減るということは、その分消費が減少することである
だからこそ、新規事業を立ち上げ、新たな雇用を増やし、消費を増やさなければいけない
しかし、新規事業を立ち上げるということは、とどのつまり資源を消費すると言うこと
資源は所詮限られたものであるからして、資本主義の競争原理は資源の枯渇を招く
この間、グリーンベンチャーサミットというイベントに参加したが、世界各国的に自然エネルギーに注目しているということ=資源の枯渇の可能性があるということになる
資源といった所でそれはかなり広義的な意味になるが、まぁ鉱物資源や石油などのことと広い意味でとらえてもらえればありあがたい
個人的に、雇用を増やすということは社会貢献としては重要なことだと捉えている
そのために新規事業への参入への支援は国がしていかなければならない部分であると考えている
近年、日本がIT分野で成長できたのだが、IT分野で大きく成長した会社の社長は技術系ではなく、極めて資金調達が巧みな人種になる
孫正義、堀江隆文、三木谷浩史など
日本のITの企業の全てがM&Aを巧みに利用した会社ではないし、彼らもシステム的に優れていないわけではないが、逆に言えば、日本における企業の成長がかなり限定されてしまったものになってしまった可能性も否定しえない(まぁ、IT企業の社長たちは投資に力を入れているので一概には言えない
まぁ、話を広げてしまったが、ただ単に今回は日本人が無料だと思っている部分に関して触れていきたい
私は、コンビニで2年以上、某牛丼チェーン店で1年ほどアルバイトをしているのだが、基本的に接客業というものが嫌いだ
演歌歌手である三波春夫が言った「お客様は神様です」という言葉を過大解釈して、接客業に取り入れた企業というのは多い
元来、買い物とはそういうものだったのだろうか?
八百屋、魚屋、肉屋の数がまだあった時代、売り手と買い手はそこまで力の差があったのだろうか?
買い手の交渉力がそこに存在していたが、売り手の情報や製品価値などの面もあり、かなりの部分で拮抗もしくは売り手の方が強かった
コンビニや飲食店に関して、果たして買い手が強い理由などが存在しているのだろうか?
一つ言っておきたいのは、コンビニはその利便性を売っているのであって、決して接客を売っているのではない
接客が素晴らしいからまた来たいという感情はほぼ生まれないし、逆は存在するもののそれはただ客が不便になるだけ
客がたまに言うのは、「お客様は神様じゃないのかよ」と馬鹿そうな未成年のガキに言われたが
基本的に夜勤をしている身で言わせてもらうと法律的に君は客ですらないというのが個人的な解釈で
警察からもできるだけ通報するように御用達が来ているので、彼は客ではないのは間違いない
そんなことはどうでもいいのだが、企業は客を神だという、客は自分を神だと主張する
どこかの宗教か?
個人的に言わせてもらえば、給料が歩合制でもないし、そんなことしたら立地条件で財布が崩壊するのだが、基本的に素晴らしい接客=自分の収入の公式が成り立たない以上、私が接客に力を入れる理由そのものが存在しない
あくまでも、接客に力を入れたいならば、企業もその分の価値を給料に入れるか、もしくはチップ制を導入すべきか、または接客業という仕事に価値を作り就活などに優位性を持たせるかなどを考える必要がある
まぁ、こんなことはどうでもいいのだが
昨今、女性誌などについてくる付録がある
多分、昔からあったのだろうがあれを何故販売店の方で巻かなければならないのか不可思議な問題である
単行本のビニールテープなどは製品の劣化や立ち読み防止目的で販売店が勝手にやっていることなので何とも言えないが
付録は、出版社が本売るために勝手にやっていることのため、向こうで完成品を作って配送すべきである
この辺を解釈するに
作るだけ作って、その責任はとらない
実に最低な考え方である
結局のところ、接客業も出版社も主張するだけで中身が存在しない
実際のところ、接客業の接客などどうでもよく、騙された従業員ががんばって仕事をすればいいと考えている
本来、接客業に価値を出している飲食店などの料理は高く、ホテルも接客が重視されていれば、その分値段が高い
そういった価値を否定しているのではないかと過大な解釈をしてしまう
「言うだけはタダ」
これはよろしくないと思う
主張するならば、その分の責任をとるべきだと私は思う
一時期隆盛を極めた北海道の花畑牧場
何故成功したのか?
何故失敗したのか?
ということについて、考えたい
まず、これについて考えようと思った最大の理由は・・・
今日、親が金スマを見ている時にマダムシンコが成金ぶりを披露していた
これは顧客へのマイナスイメージではないかと言っていた(まぁ、うちの親はそこまで頭がよくないのでここまで具体的には言っていない
最近、花畑牧場の宣伝・・・
つまりは、田中義剛を見ない!!
だからと言って、=の関係で企業の衰退、失敗を定義したわけでないことは予め言っておきたい
あくまでも、情報収集をしていく中でこれは一つの失敗なのではないかということについて考えた
<花畑牧場のマーケティング的考察>
花畑牧場の経営理念
1、食べる人を幸せにする
2、作る人を幸せにする
3、地域の人を幸せにする
となっている
これは一応概ね経営に生きていないことはないことはない
1、食べる人を幸せにする
これについては、考え方は非常に難しいが、ブームの当初は製品の希少性が非常に高く、入手困難だった
それを手に入れたことによる達成感という面では生キャラメルを含めた事業へのロイヤルティーといった概念では成功と言える
逆に、これを手に入れやすい環境の整備では、ブーム当初の入手困難さを解消したという面でも経営理念に沿っているのではないかと考えられる
2、作る人を幸せにする
従業員の満足度などはデータとしてはあまりないが・・・
こと個人を限定し、牧場を経営したいという“田中義剛”本人は目標を達成し、幸せだと言える
3、地域の人を幸せにする
北海道の夕張などの問題への取り組みや製品価値を利用した一種のテーマパークとしての牧場の価値を創造したと言える
他にも地域の雇用などの問題を考えれば、これについては最も花畑牧場が取り組んでいるものだと言える
といった観点からは経営理念に沿った経営をしていたという考えはできる
・なぜブームは起きたのか?
あくまでも、私の考察になるが、田中義剛はあくまでも、生キャラメルという商品を含めた牧場の製品の価値を高めて、一種のロイヤリティーを作り出したかったのではないかと考えた。
そこで花畑牧場が注目したのは六次産業的なアプローチだと考えられる
従来の一次産業の在り方は
生産→農協→市場流通
というのが基本的なあり方で
農協などのツールを通さず、生産、加工、販売を全て自分達で行ったことが花畑牧場の考え方だろう
そうなると生産物を加工した価格で、自社で価格設定するため、生産物の農協の買い取り価格よりは高く販売することができるため、割と利率が高い
ただし、一種で農協という機関を通さないことで、様々な手間がかかる
個人で行う場合でも、安全管理などの手間がかかり、農協の持つ信頼性を利用できない
企業として行う場合は、全てに人件費やコストがかかることになる
ようは売れなければ、マイナスの面が多いということ
当初の販売網は非常に限定されていたが、白い恋人の賞味期限問題をきっかけとして、市場に流通することとなる
これが火付け役となり、元々行っていたインターネット販売や牧場での販売など様々な製品、サービスがウケて、ブームとなった
・ブームからの動き
~ブーム当初~
まず、生産規模が小さく、市場流通のレベルでは需要に追い付かない状況になった
そのため、消費者は入手したいという気持ちが強く、消費者の消費意欲をかきたてた
また、クチコミなどの要素がうまく生きていたのだと考えられる
~ブーム中期~
経営者たる田中義剛のメディア露出が増えてきた
メディアによる宣伝効果を狙っており、また、これも消費者の消費意欲を刺激していたと考えていいのではないだろうか
~ブーム後期~
メディア露出が多すぎて、逆にくどいという意見などのマイナスイメージが増えてくる
また、事業の成功による製品の多様化、牧場という技術を生かした多角化も増えてくる
この頃から都市部への店舗展開が進む
コラボレーション企画などを催し、宣伝効果を狙う
・ブームへの対応への考察
ブーム中期ぐらいからある意味での失敗が考えられる
それは、まず一点として企業イメージのマイナス
当初はタレントの持つプラスイメージが功を奏して、花畑牧場への信頼性として生きたが、あまりにもメディア露出が多すぎたため、消費者からマイナスイメージが生まれたのではないだろうか
また、多角化が進み、花畑牧場というブランドの商品自体への入手困難さが解消され、ロイヤリティーは価格面だけが残ったと言える
以上がマーケティング的な考察である
<私が考える失敗例としての考察>
・技術の模倣の容易さ
・店舗拡大によるロイヤリティーの低下
・過度な価格設定
これが、理由ではないだろうか?
まず、生キャラメルがどういった製品かと言えば、原価だけで言えば、恐らく通常のキャラメルと大きな開きはない
それが人箱850円というのは、かなりの高価格設定だと言える
それに加え、生キャラメル自体が家で作ることのできる程度の技術の商品である
あくまでも、土産物としては高い設定とは言えないが、これが都市部で入手できるならば、これは非常に高額なのではないだろうか?
白い恋人やロイズは、土産物としての価値を追求しているため、通販事業はともかく、店舗拡大はそこまで大々的に進めていないし、それをそこまでPRすることもない
一時期のブームの影響で、入手の容易さをアピールしたことによって、ロイヤリティーの低下を招いたと言える
以上の理由から通常のキャラメルと同程度とまではいかないが、商品価値の低下があったと考えられる
もともと、田中義剛は牧場経営がしたいという経営精神があり、その点だけは否定してはいけない部分ではないかと考える
これは正しい考察かどうかはわからないが、もう一つ私が感じた彼の功績を伝えた上での考察をしたい
田中義剛は従来の農協への流通というシステムを壊したいと考えていた
これ自体は経営者として、悪い判断だとは考えないし、立派な理念だと感じた
ただし、農協の流通を通さないと言うことは、同じ価格で販売しても、利益率が大幅に上がる
それを加工した上で販売すれば、より利益を上乗せできる
その上で、さらに利益を上乗せしているのは、この考えと相反するものではないだろうか?
従来の流通システムを壊したいならば、従来の価格設定を壊す必要があるのではないか?
といったことは私の考えでしかないが、このような矛盾には疑問点を感じる
結論
田中義剛の経営の仕方はある意味では様々な問題があるが、良い点もある
一次産業の商売としての事例としては悪くない
また、私自身は失敗と定義したが、これはあくまでも私の解釈だ
市場への流通が拡大され、今まで置かれていなかった土産物売り場でメインの商品としての位置を占めている
これらのことから必ずしも失敗とは言えない
私はあくまでもブーム期の対応とそれと比較した現在について考察したということは忘れないでほしい
長い文章を読んでくれた人はありがとう
何故成功したのか?
何故失敗したのか?
ということについて、考えたい
まず、これについて考えようと思った最大の理由は・・・
今日、親が金スマを見ている時にマダムシンコが成金ぶりを披露していた
これは顧客へのマイナスイメージではないかと言っていた(まぁ、うちの親はそこまで頭がよくないのでここまで具体的には言っていない
最近、花畑牧場の宣伝・・・
つまりは、田中義剛を見ない!!
だからと言って、=の関係で企業の衰退、失敗を定義したわけでないことは予め言っておきたい
あくまでも、情報収集をしていく中でこれは一つの失敗なのではないかということについて考えた
<花畑牧場のマーケティング的考察>
花畑牧場の経営理念
1、食べる人を幸せにする
2、作る人を幸せにする
3、地域の人を幸せにする
となっている
これは一応概ね経営に生きていないことはないことはない
1、食べる人を幸せにする
これについては、考え方は非常に難しいが、ブームの当初は製品の希少性が非常に高く、入手困難だった
それを手に入れたことによる達成感という面では生キャラメルを含めた事業へのロイヤルティーといった概念では成功と言える
逆に、これを手に入れやすい環境の整備では、ブーム当初の入手困難さを解消したという面でも経営理念に沿っているのではないかと考えられる
2、作る人を幸せにする
従業員の満足度などはデータとしてはあまりないが・・・
こと個人を限定し、牧場を経営したいという“田中義剛”本人は目標を達成し、幸せだと言える
3、地域の人を幸せにする
北海道の夕張などの問題への取り組みや製品価値を利用した一種のテーマパークとしての牧場の価値を創造したと言える
他にも地域の雇用などの問題を考えれば、これについては最も花畑牧場が取り組んでいるものだと言える
といった観点からは経営理念に沿った経営をしていたという考えはできる
・なぜブームは起きたのか?
あくまでも、私の考察になるが、田中義剛はあくまでも、生キャラメルという商品を含めた牧場の製品の価値を高めて、一種のロイヤリティーを作り出したかったのではないかと考えた。
そこで花畑牧場が注目したのは六次産業的なアプローチだと考えられる
従来の一次産業の在り方は
生産→農協→市場流通
というのが基本的なあり方で
農協などのツールを通さず、生産、加工、販売を全て自分達で行ったことが花畑牧場の考え方だろう
そうなると生産物を加工した価格で、自社で価格設定するため、生産物の農協の買い取り価格よりは高く販売することができるため、割と利率が高い
ただし、一種で農協という機関を通さないことで、様々な手間がかかる
個人で行う場合でも、安全管理などの手間がかかり、農協の持つ信頼性を利用できない
企業として行う場合は、全てに人件費やコストがかかることになる
ようは売れなければ、マイナスの面が多いということ
当初の販売網は非常に限定されていたが、白い恋人の賞味期限問題をきっかけとして、市場に流通することとなる
これが火付け役となり、元々行っていたインターネット販売や牧場での販売など様々な製品、サービスがウケて、ブームとなった
・ブームからの動き
~ブーム当初~
まず、生産規模が小さく、市場流通のレベルでは需要に追い付かない状況になった
そのため、消費者は入手したいという気持ちが強く、消費者の消費意欲をかきたてた
また、クチコミなどの要素がうまく生きていたのだと考えられる
~ブーム中期~
経営者たる田中義剛のメディア露出が増えてきた
メディアによる宣伝効果を狙っており、また、これも消費者の消費意欲を刺激していたと考えていいのではないだろうか
~ブーム後期~
メディア露出が多すぎて、逆にくどいという意見などのマイナスイメージが増えてくる
また、事業の成功による製品の多様化、牧場という技術を生かした多角化も増えてくる
この頃から都市部への店舗展開が進む
コラボレーション企画などを催し、宣伝効果を狙う
・ブームへの対応への考察
ブーム中期ぐらいからある意味での失敗が考えられる
それは、まず一点として企業イメージのマイナス
当初はタレントの持つプラスイメージが功を奏して、花畑牧場への信頼性として生きたが、あまりにもメディア露出が多すぎたため、消費者からマイナスイメージが生まれたのではないだろうか
また、多角化が進み、花畑牧場というブランドの商品自体への入手困難さが解消され、ロイヤリティーは価格面だけが残ったと言える
以上がマーケティング的な考察である
<私が考える失敗例としての考察>
・技術の模倣の容易さ
・店舗拡大によるロイヤリティーの低下
・過度な価格設定
これが、理由ではないだろうか?
まず、生キャラメルがどういった製品かと言えば、原価だけで言えば、恐らく通常のキャラメルと大きな開きはない
それが人箱850円というのは、かなりの高価格設定だと言える
それに加え、生キャラメル自体が家で作ることのできる程度の技術の商品である
あくまでも、土産物としては高い設定とは言えないが、これが都市部で入手できるならば、これは非常に高額なのではないだろうか?
白い恋人やロイズは、土産物としての価値を追求しているため、通販事業はともかく、店舗拡大はそこまで大々的に進めていないし、それをそこまでPRすることもない
一時期のブームの影響で、入手の容易さをアピールしたことによって、ロイヤリティーの低下を招いたと言える
以上の理由から通常のキャラメルと同程度とまではいかないが、商品価値の低下があったと考えられる
もともと、田中義剛は牧場経営がしたいという経営精神があり、その点だけは否定してはいけない部分ではないかと考える
これは正しい考察かどうかはわからないが、もう一つ私が感じた彼の功績を伝えた上での考察をしたい
田中義剛は従来の農協への流通というシステムを壊したいと考えていた
これ自体は経営者として、悪い判断だとは考えないし、立派な理念だと感じた
ただし、農協の流通を通さないと言うことは、同じ価格で販売しても、利益率が大幅に上がる
それを加工した上で販売すれば、より利益を上乗せできる
その上で、さらに利益を上乗せしているのは、この考えと相反するものではないだろうか?
従来の流通システムを壊したいならば、従来の価格設定を壊す必要があるのではないか?
といったことは私の考えでしかないが、このような矛盾には疑問点を感じる
結論
田中義剛の経営の仕方はある意味では様々な問題があるが、良い点もある
一次産業の商売としての事例としては悪くない
また、私自身は失敗と定義したが、これはあくまでも私の解釈だ
市場への流通が拡大され、今まで置かれていなかった土産物売り場でメインの商品としての位置を占めている
これらのことから必ずしも失敗とは言えない
私はあくまでもブーム期の対応とそれと比較した現在について考察したということは忘れないでほしい
長い文章を読んでくれた人はありがとう