昨日は更新さぼって申し訳ありませんでした。当分は、回想ネタが続きそうです( ̄∇ ̄+)


 さて、またも受験生にとって興味深そうなネタを披露したいと思います。合格発表、そして合格してからのことです。


 僕は、関西人で、地方民ということもあり、東京大学本郷キャンパスまで合格発表を見に行くということはしませんでした。してもよかったのですが、受験中、ちょっと体調が悪くなり、かなりグロッキーな状態で試験を受け続けたので、合格の自信がなかったのです。


 てなわけで、前期試験が終わり、後期の勉強には身が入らず、日がな毎日うだうだうだうだ、学校行ってはトランプやったり麻雀やったり将棋やったりバドミントンやったりとうだうだうだうだと、ホントに廃人のような生活を送り、そのペースで合格発表の日までやってきたのです。


 ええ、さすがに緊張しました。緊張しますとも。緊張しないわけないじゃないですか。


 朝、目覚ましもかけてないのに、早起きするなんて、当時のうだうだ感からすればありえないことです。目が覚めて、2度寝しようと思ったら、頭の中で「もし落ちてたら」がスパークして眠れないなんて、当時のだらだら感からすればありえないことです。


 しかし、布団のなかでうなっていても、まともに時間は過ぎません。あきらめて居間へ行って、パンドラサーガというオンラインゲームで友達と交信しつつ、PT狩りをやっていました。すると、


 ピンポーーーーン


 む?早い?早すぎる?まだ3時間以上早いぞ??クールになれ大輔!これはきっと合格・不合格を知らせる訪問者ではない。期待するな。第一、不合格の電報だったらどうするんだ。期待するな。期待するなあああああああああああああああああああああああ。


 と、言っても、期待してしまうのが人情。インターホンに向かって、


 ピ


「電報です。東京大学の方から」


「ぇ」


 ホントに、小文字の「ぇ」が出ました。急いで電報を受け取り、震える手でハサミを入れました。あけると、「合格通知書」が!


「いやああああああああああああっっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおぅ!」


 と、心の中で叫びました。声には出しませんでした。一瞬頭の中で何かがスパークしましたが、それ以後の反応は平静なものでした。合格発表見に行けばもっと興奮できたのかなぁ、と思うと少し残念ですね。


 後になってからの話ですが、電報が来れば合格確定だったんですね。不合格の人は電報が来る時期が異なっていたようです。あと、電報が予定よりだいぶ早く来たのは、郵便局が電報の時間指定制度を廃止したため、例年の合格発表時刻に配達時間を合わせることができなくなったからだとのこと。タネがわかってしまうと手品は面白くないように、こうして書いてしまえばどうってことないことですね。


 そんなわけで、合格が決まった後は、合格が決まった友達と一緒に学校へ行って、先生に挨拶して、トランプやって、麻雀やって、メシ食って帰りました。本当に、重荷が取れてすがすがしい気分でした。合格の喜びそれ自体は、後からじわじわとやってきましたが。


 さて、その後はさまざまな手続きの後、上京して部屋を決め、家具を買い揃え、諸手続きに臨んだわけですが、そのあたりのことは聞きたい人がいるかどうかわからないので、反応を見つつ書きたいと思います。まあ、一言で言えば、「サークルの勧誘がうざかった」って感じですね( ̄ー ̄; いや、甘く見てるでしょ、受験生諸君。僕も、にぎやかなのは好きなほうなんですよ?まあ実際に体験してみるがよろし。


 それでは。

 お待たせしました、続きです。


 前回は、東大か京大かで迷っていた、という話をしましたが、それは高2の夏休み明けぐらいからの話であって、高2に上がる段階の文理選択をすませ、理科、社会が混じりだした進研模試を受けていた頃の僕は、学年で20位~30位程度の実力しかありませんでした。開成や灘なら、この順位なら東大余裕なのでしょうが、ウチの学校は所詮公立なので、この位なら落ちるのを覚悟で京都を受けるか、阪大で勝負か、と言ったぐらいのレベルです。


 とはいっても、僕はわりと根拠なく自信を持ち、なおかつ、高2段階では現実的進路を見据えるということはまだしていなかったので、東大か、京大かを漠然と目指していました。堀江社長の出身校である東大にはかなり興味を惹かれましたが、ライブドア・ショックで逮捕されてしまったこともあり、東大と京大に明確な差がないなら友人が多く、人脈を築きやすい京大にするのもアリかな、とかなり真剣に思っていました。実際、その頃は京大にかなりなびいていたのです。


 東大を見据えなおす、1つの機会は、社会科の先生の言葉でした。その社会の先生はかなり年配の方でしたが、文系の京大出身者で、東大と京大の差などという事情にはそこそこ詳しかったようです。その先生の言うことには、


「官僚になるなら絶対東大です。国Ⅰ(国家公務員上級。いわゆるキャリアへの試験)受けて官僚になる人間は、圧倒的に文Ⅰから法学の人間が多いから、京大なんかから行くとハブられますよ?」


「池田勇人は、戦争で東大卒の人間が大勢死んだから、京大から首相になれたが、京大卒ということで色々と不自由な思いをしたみたいです。」


「マスコミなんかは絶対に東京ですから、マスコミ関係を目指すなら上京するべきですね。」


などなど。どこまで本当かはまだ僕にもわからない情報が多く、国土交通省を自治省と言うなど、微妙に時代感覚がズレている先生でもありましたが、当時の僕は漠然と、京都に行くよりも東京に行ったほうが有利なことが多いのではないだろうか?と疑問に思い始めました。


 そして、次は塾でした。僕は自習室がないと勉強できないこともあり、とある県を中心に8教室ほど経営している中規模な塾に通っていたのですが、僕の通っていた教室には、東大卒の先生が2人来ており、色々と話を聞いてみると、


「ノーベル賞の研究なんかでは京大が強い。研究では京大のほうがいい面もあるだろう。だけど、文系なら東大に行ったほうが絶対いい」


とのことだったので、じゃあ東大にするか、とぼんやりと東大に傾きだしたのでした。


 おりしも、その頃から成績が上向きになりだして、1位も楽々取れるようになってきたので、東大に行こうというぼんやりとした方向性は、確たる目標へと変わりました。3年になってからは、A判定、B判定をガンガン取ることができ、自信もつけて、目標は揺るがなくなりました。そうして、そのまま受験に至り、合格し、今駒場キャンパスに通っているわけです。


 僕の場合は、このように、比較的はっきりとしたルートがあって、大学・学部・学科を絞り込んでいきましたが、なんとなくで決めた人もかなり多いです。しかし、後で後悔しないためにも、ある程度明確な動機付けがあったほうがいいことも確かです。皆さんも、自分が今何をやりたいか、どの大学でどんなことをやりたいかを、今一度しっかりと考えてみてください。


 それでは。


 関西人で、京都大学のほうが遥かに進学先として濃厚である地方公立進学校の生徒だった僕が東大を選んだ動機は、単純に「偏差値」だけではありませんでした。まともな記事第一回は、友人、家族、親類からはけっこう良く聞かれたテーマである、東大進学の動機について語りたいと思います。


 まず、一番最初の進学先の分かれ目は、文系か理系かでした。周りの人の多くは、僕が理系に進むのが当然だと思っていましたし、僕も自分自身は理系の頭だと思っていました。数学、物理や化学もかなり得意でしたし、論理的思考を好み、国語の小説や古文の感情表現には違和感を感じることも少なくありませんでした(ただし、趣味としての読書では小説・ライトノベルの類は良く読みます)。英語、社会、国語も好きなことは好きでしたが、一番好きな科目はやはり数学で、一番得意な科目もやはり数学でした。


 何より、僕の場合は、親が医師だったので、医学部へ行くという進路が濃厚だったのです。当時は開業医ではなかったし、先祖代々医者の家系というわけでもないし、僕には医学部を目指している兄がいたので、別に僕が医者の道を継ぐ必然性はなかったのですが、母親は熱心に医者への道を勧めてきましたし、僕も医者としての父親の業績は、そこそこ誇りに思っていました。


 なぜ、僕が医者にならなかったのかというと、そこにはやはり医者という職業の重圧を、勤務医の子供として子供の頃から感じ続けてきたからです。世間一般のイメージでは、医者は知的で、裕福で、満ち足りた生活をしているというイメージがあると思いますが、長い間、開業もせず、医局の命令で病院を転々とし、勤務医を続けてきた父を見ると、とてもそんなものではありませんでした。優秀な頭を持ち、朝も夜もなく、土曜も日曜もなく、当直までこなしながら、ぶっ続けで仕事をし続け、かつ家では面倒見のいい父として子供の相手をしてくれる。頭ではそうそう負けを認める気分にはなれませんが、体力と精神力では僕は父のマネはできないと思った。それが、僕が医者にならなかった理由です。


 医者にならないという方針を決めてしまうと、後は理系は技術者か研究者しか道はないかなぁ、と漠然と思いました。今から考えると、機械の設計などの道にもかなり魅力を感じるのですが、当時の僕は、技術者は与えられた仕事をただ正確にこなしていく職人、研究者は成果が出るかもわからない実験に朝晩明け暮れる探求者というイメージが強く、どちらもピンときませんでした。


 逆に、文系のほうは、入れば漠然とやりたいことが見えていました。僕が、文理選択を考えていた頃は、ちょうどライブドアの堀江社長が脚光を浴びていたころでした。新球団設立に向けて動き、ニッポン放送の株式買収のために動き、テレビのニュース、新聞は朝晩、経済系のニュースでにぎわっていました。こういう記事を見ていて興味を持ち、経済・経営の本を読み漁るなどして、そちらの方面に興味を持った僕は、文系で、経済系志望という方針を固めました。何より、経済は社会科学であり、理系的要素、数学的要素が強く、僕の長所が十分に生かされると思ったからです。


 こんな感じで、僕は文理選択を終えました。あまり記事が長くなりすぎても読みづらいので、何故、周りの友達がみんな京大を目指しているのに、僕は東大を目指したかは、次回に回したいと思います。ご期待ください。