ヒマワリノタネ

ヒマワリノタネ

ひまわりの、ひまわりによる、ひまわりのための。

Amebaでブログを始めよう!

不安になるのは自分自身が満たされていない証拠。

人はもとより独りだ。

寄り添い合うだけで、どんな時だって本質的には独り。

見返りを求めるから辛いのであって

あるがままを受け入れ愛すことが日々の生活の「正解」だと思う。

 

日々の生活。

そこには個々の生活があって、いつも同じ時間を過ごせるわけではない。

思考も人それぞれ、優先順位も人それぞれ。

でもそうなると、ただの共同生活者じゃないか、と思う。

家族になると、相手ありきの生活になると思っている。思っていた。

でもその「相手ありき」の度合いすらも、人それぞれ。

同じくらいの重きを相手に置くとは限らない。

 

苦しいなあと思いながら毎日を過ごすのは苦しい。

それでもその苦しさを訴える相手すら家族しかなく。

八方塞がりだ、と感じる。

苦しい。

 

逃げる場所は音楽しかない。

けれど自由に音楽に飛び込むことすらも難しい環境。

 

疲れているのだろうか。

 

相手の立場に立って考えなさい、と教えられて育ってきたけれど

それは私がもう一人いた場合にのみ有効な手段だ。

大抵の場合は役に立たない。

 

どうやらマリッジブルーだ。

結婚後に来ても意味がない。

 

過去に思いを馳せて日々を過ごす。

逃避でもなんでも、娘の前では笑顔でいたい。

 

苦しいなあ。

期待して、裏切られた気になって、傷つく。
よくあるパターン。
そもそもがおかしいのだ。
他人に何かを期待することほど意味のないことはない。
他人は他人なのだ。
自分の思い通りにならないのは当たり前なのに、
どうしてだかそれをいつも忘れる。
友達との距離感で恋人や家族ともいれたなら
裏切られた気になることもないだろうに。

自分の思い通りになる人生なんてつまらない。

誰かが言った。
そういう風に生きたいと思う。

でもそれができないから
諦めをもって日々を過ごす。
諦め。
愛する人に対して、諦め。
何か違うと思うけど、いまはこれでいい。
理想より、自分を守ることの方が大事だ。

生まれ変わったら、
と意味もなく考えるが、これは結構楽しい。
どこで選択を間違えたのかな、
という思いを抱えながらみんな生きているのだろうか。

できる限り望む形に近づけようとするのに、
もがけばもがくほど遠くなる。
あるがままを受け入れることが最善なのか。
それは諦めとは違うのだろうか。

こんなはずではなかった、と思うのはおかしいのだろうか。

苦しいなぁ。
自分で自分を苦しめているなぁ。

知る勇気より知らない勇気を持つことも大事。
大概のことは知らない方が幸せなのだ。
ブログ巡りしてきた。
大好きな人たちの言葉はいつも心にすっと届く。
こんな文章を書きたいなと思う人はとても少ない。プロアマ問わず。
そんな人のブログを読むことは至福。

いろんなことを考える。
久しぶりにイヤホンをつけずに電車に乗った。
少しの時間だけだけど。
車内アナウンス、子供に注意する母親の声、友人と会話する男性の声、降りる人の足音。
冬の始まり、夜のはじまり。
しずかな気持ち。

久しぶりにスターバックスに寄った。
大好きなジンジャーブレッドラテと
ステンレスのマグを買った。
もちろん赤いほう。
帰ったらコーヒーをいれて仕事しよう。

制作活動において、
孤独感や悲しみは不可欠な要素だと思う。
浸る必要はないし、それ以外ももちろん必要なんだけど、
それがあるからこそ、大切に感じたり
不安を覚えたり、喜びを見つけたりするんだと思う。
人間にとって喜怒哀楽はとても大切な感情。
どれに偏ることもなく、固執することもなく、
ただあるがままを受け止めたい。
いつも毅然とした態度で。

~べき、なんてものは本当はないんだ。
自分でそう決めてしまうだけで。
好きなら好きで良いし、好きになれないなら好きになる必要はない。
そこに頑張りや迷いはいらない。
自分に嘘はつきたくない。

今だからこそ思うこと、
今だからこそ言えること、
今だからこそわかること。
全部があるから今日がある。
明日はくるけど昨日はもうこない。

冬の支度をしよう。
そして目標を決める。
11月が終わったら、溜め込んでいた色々をかたづけて
年が明けたら動き出す。
かつてより考えていた「25歳」はもう半分過ぎてしまった。
そしてかつてより考えている「30さい」まであと5年しかない。

準備をはじめよう。
弱い自分と
向き合う強さを
手に入れたなら
僕はもう
弱い人間ではなくなるのだろうか

甘い言葉に
惑わされない強さを
手に入れたなら
僕はもう
強い人間だと言えるのだろうか

どこまで行っても
独り
あてもなく
歩き続けて

見えない明日を
あきらめない意思を
持ち続けるなら
僕はまた
少し強くなれるのだろうか

悔しい思いを
糧にして進む強さを
持つことができるなら
僕はまた
少し弱さを捨てられるのだろうか

どこまで行っても
独り
わけもなく
泣きたくなって

弱い自分を
捨て続ける自分を
強いと言うのなら
僕はずっと
弱い人間のままなのだろう

弱い自分も
自分だという事実を
受け入れられるのなら
僕はもう

どこまで行っても
独り
意味もなく
走り続けて

強い自分を
求める弱さを
手放せるなら
僕はもう
強い人間だと言えるのだろうか