小さい時から巡回監督と言うと、正直あまり良いイメージは無かった。


何だか長老より偉くて(偉そう)、あちこちの会衆を周り、会衆のダメなところを指摘する恐いイメージだ。昔の監督はあまり誉めなかったし、鞭を奨励するくらいだからね…

会衆内でも訪問を心待ちにし喜んでいる人は少数だったと思う。

正直、早く過ぎ越して欲しい!って人がほとんどだ。


プログラムの巡回監督の話しは改善点をストレートに指摘するので緊張してドキドキして聞いていたものだ。

訓練の野外奉仕や研究、再訪問なども、自分の良いところを見せるために皆苦労していたなぁ。


宿舎提供や食事招待がプレッシャーだった。

未信者の夫を持つ母は訪問時に宿舎は提供出来ないので、沢山の手料理の食事招待で、毎回もてなしていた。

しかし食事招待、母は会話があまり上手ではないので、雰囲気を盛り上げるのに苦労し緊張した。そして監督夫婦が帰ってから…

『食い改め』と言い、みんなで緊張感から解かれて再び食べて盛り上ってたなぁ、これが楽しかったくらいだ。

僕の小さい頃は、外食の食事招待ってあまり無かった、田舎だからだろう手料理でもてなすのが当たり前だった。

料理苦手な姉妹は苦労したと思う、巡回監督へのもてなしは特権だからという言い方で強制的だったし…

もしやらないと後ろ指を指されるし…

この環境…愛ある、自由の民の組織とは到底思えないぜ。


巡回訪問前に必ずやる王国会館の大掃除も何か嫌だったんだよなぁ。

掃除して綺麗にするのは好きなんだけど、巡回監督に指摘されない為とか…良いところ見せようとする精神が自分的にモヤモヤしていた、僕はいつもの状態、素の状態を見せたいタイプだったので…

だから大人になってから奉仕の僕になり、会衆の長老たちは監督に突っ込み入れられないよう、期間中その場しのぎの対策や言い方をする、うちの会衆は何の問題も有りませんよ的な…

僕はありのまま正直に会衆の現状を話していたので、監督はその点は評価してくれたし信頼されていた。


当時は悪い言い方で言えば巡回監督の犬になってましたね。


僕の人生の中での巡回監督…厳しい人が多かった…


例えば、正確に言うと巡回監督になるちょっと前の長老だった兄弟との話なんだけど…

僕が中学生の頃、群れの監督長老(後の巡回監督)と野外奉仕していた時に、そこの自販機を目をやると黒いぽてっとした形のビンでオロナミンCのようにリング式のキャップの炭酸ジュースが売っていた。

僕は手榴弾そっくりに見えて、面白いの発見した!って感じで興奮気味に、その長老に

『見てください、これ手榴弾そっくりですね。』ってありのままに言ったら…

いきなり無表情になって

『私には雪花石こうの容器に見えますね』だってさ…

どこがやねん!真反対の色だし!客観的に見て似てるし…雪花石こうの容器もビックリしとるわ!

当時のピュアな僕はがっかりしたのと、もう2度とこの長老には思った事を話さないようにしようと思ったのでした。言論統制の雰囲気あったね。


この後に巡回監督になって何処かに行ったのだけど、この長老は発言も自身の生き方もストイックで厳しく同じ群れで仕込まれたけど付いていくのは大変だった。全然楽しくないもん…

こんな人が巡回監督で回ったら厳しくて皆辛いだろうなぁと思春期の僕は思ったのでした。


その後に宣教者が来てくれて会衆は激変する。