僕は幼い頃に先天性の病で大きな手術を三回した。


それも顔…

神経や細い血管があり非常にリスキー


地元の大きな病院でも拒否され…


当時はHLCなんて無くて自力(母親)で無輸血手術をやってくれる病院を探さねばならなかった。


各地の病院を紹介してもらって、そこで交渉したりと30代の母が頑張っていました。


田舎の中卒の母が、医療に無知な長老たちの助けを頼りに孤軍奮闘しておりました。


それも饒舌なタイプではないので交渉も大変だったと思います。


動機は1つ『輸血すれば息子は楽園に行けない』ただそれだけ…


今僕が親の立場になってみると本当に統治体の教えには虫酸が走ります。


その時、遠くはあの大ちゃん事件で有名な川崎の聖マリアンナ医科大学にも行ったそうです。

結果は無輸血手術の受け入れはできません…。


最終的に大都会東京の警察病院が受け入れてくれました。


当時は千代田区の飯田橋駅近くにありました。


駅を降りてすぐの所にあり、近くにファストフードのロッテリアがあったのを記憶しています。


幼い僕は一人で数週間の入院。


母親は近くの旅館に泊まり、日中は見舞いに来る。


なので素泊まりでも宿泊費がかなりかかったと愚痴をこぼしておりました。


当時の東京警察病院の形成外科は日本一いや世界一の技術を導入して有名だったようです。


しかし保険適用外!莫大な手術入院費用が掛かりました。


退院後の東京への通院費用もバカになりません。


それも東京警察病院では小学生の期間に三回…


当時の職人の父親の稼ぎでは余裕は無く精一杯だったはず。


無輸血手術の為に本当に苦労しました。特に親が…


もし、今回の輸血の調整とやらが早まっていたり…

そもそも無かったらどうなっていたか…


しみじみと考えさせられます。


第一に亡くなった方の貴重な命…


そして多くの労力や時間…


そして多大な費用も関係してきます。


組織は今回の調整に対して、これまでの輸血問題で真摯に対応してきた信者やその家族への気持ちや努力を理解し、きちんと配慮した発言や気遣いをしているのでしょうか!


全くしていません!


全く他人事です。


本当にがっかりな組織です。



でも…東京警察病院には良い思い出もあります。


長期間休むため学校の冬休みの時に手術入院していた時、東京でタクシーの移動中、母はお上りさんとバレないようにしていた時に、僕が東京が暖かく感じ『お母さん東京は夏だね!』と言っら、運転手に笑われ田舎者がバレてしまったり…


独りで病室で寝るのが寂しく、毎晩母が宿泊先に帰るのを泣いて駄々をこねていたのに、2日もたてば同室の患者の子供たちと仲良くなり、母に『早く帰ったら』と言ってみたり…


高い病院の屋上で大都会を眺めながら『偉大な教えて』の本で研究したり…


2回目の手術入院の時(夏休みの時)に自宅の田んぼで取ったホタルをネスカフェのビンに入れて持って行きベッドで眺めて、退院時には同室の都会の子にあげて喜ばれたり‼️…

↓AIでつくってもらったイメージです。


こんな懐かしい良い思い出もあるので何とも複雑であります(笑)。







子供の塾の帰りしなにスーパーに子供達と買い物に行く。


お値引き品探しと子供たちへのご褒美のために…


娘が『大学イモのタレ』をカゴに入れてきた。


僕が『何これ!』


娘『大学イモ食べたい!』


なので作りました。
市販のタレを購入したので簡単でした。

こんどはタレも自分で作れるなぁ…

芋は乱切りして水に10分くらいさらして、レンチンしてから、少ない油で揚げ焼きして、焼けたらタレを絡めただけ。あと黒ごま必須。

外はカリッ中はホクッで甘辛くて美味しかった。冷めても旨い。

大学イモが似合う娘です(笑)


玉ねぎが大好きな娘。


特にとろとろの玉ねぎが好き。


親子丼でとろとろ玉ねぎを食べてもらい喜ばせよう!


4.5個の玉ねぎを使いました。お鍋用の鍋が玉ねぎで埋め尽くされました。


とろとろになるまで煮込みました。

 

もちろん胸肉はお酒につけておきました。


この飴色がたまらん
味付けは妻のアドバイスを得ながらしっかり目につけたよ。

最後にタマゴ5個をとじて完成。


うちは贅沢にアタマ(具材)が大盛(笑)
すき家の中盛り以上だぁ

なので鍋で作ってもすぐに無くなる(笑)

娘も『うまい!』と喜んで食べてくれました。

玉ねぎと胸肉だからヘルシーだと思う(笑)

食べ盛りの高学年なったらもっと大量に作らねばならないなぁ(笑)

JW現役バリバリ独身貧乏開拓者やっていた時…

定期的に会衆の子供(小学生や中学生)を1人か2人を連れて外食に行ってたなぁ。

ある時は給料日に回転寿司に誘って、僕が『何でも好きなの食べて!』とはりきったら、子供『僕海鮮系食べれないんです…』、僕『最初に言ってくれよ~っ』って事もあったなぁ。
ずーとコーンマヨ軍艦食べてました(笑)

あの時の思いやエネルギーを…今、自分の子供たちに全部つぎ込んでます。