無事に井戸も見れたことだし、
あとはラオスに移動するのみ。
…と最初は思っていましたが、
せっかくプノンペンに来たわけだし、観光することに。
泊まっているCapitol G.H.からもツアーとなっていて、
他の旅行者にも勧められた場所があり、行って来ました。
それは、
キリングフィールド(The Killing Fields)と
トゥールスレン虐殺博物館(Tuol Sleng Genocide Museum)。
◎キリングィールドツアー
Capitol guest Houseから出発、3人以上でツアー決行。
私たち以外に日本人夫婦2組いて、
合計6名で11時からのツアーに参加しました。
ツアー料金はひとりUSD4。
エアコンバスと書いてあったけどミニバンで移動。
09:00am・11:00am・02:00pmと1日3回あるそうで、
GHから車で20~30分ほど行ったところにあります。
ガイドや食事、入場料(ひとりUSD5)は含まれていません。
◎トゥール・スレン虐殺博物館
入場料はひとりUSD2。
GHから歩いて10~15分くらいの場所にあります。
キリングフィールドツアーに参加した全員が
その後にこちらの博物館に行くからと、
ドライバーに博物館前で降ろしてとお願いしました。
この2つの場所は、1975年から1978年にかけて
カンボジアの政治家、ポル・ポト政権下で
約2万人が大量虐殺された刑場跡です。
わずか数年のポル・ポト時代に多くの国民は
強制的に農民にされ、強制労働を強いられました。
ポル・ポトは政権を握っても疑い深く、
前の政権で働いていた人や知識人(医師・外国語が話せる人・
教師等)も次々に殺していきました。
中には眼鏡をかけている人、ソフトハンド(手が柔らかい人)と
呼ばれる人たちも農民ではなく知識人と判断されたとか。
なぜなら、知識を持った人間を生かしておくと、
あとで復讐される恐れがあるためだそう。
それを恐れたポル・ポトは、
知識人や裏切り者のどちらか少しでも疑いのある人間を
根絶やしにし、完璧な共産主義を目指したそうです。
現在のトゥール・スレン虐殺博物館は元収容所で、
そこに拘置された人々がキリングフィールドに運ばれ
無残に処刑されたとのこと。
カンボジアの各地にキリングフィールドがありますが、
その中でも有名なのがプノンペン郊外にある
チュンエク大量虐殺センター(Choeung Ek Genocidal Center)。
はじめにチュンエクのキリングフィールドに行きました。
ここには犠牲者に対して深い哀悼と敬意をはらい
慰霊塔が1998年に建てられており、
内部には掘り起こされた9,000近くの頭骸骨が
積み上げられています。
その周りにいくつか見学出来る箇所があり、
入場料を受付で払うと言語別で
オーディオプレイヤーを無料で貸出しています。
ルート順路は番号が付いているプレートの場所まで進み、
同じ番号のプレーヤーを再生しながら
その場所はどういう場所なのか、
キリングフィールドで何が行われていたのか
等の詳細を聞くことが出来ました。
これがとても分かりやすく、より理解を深めることが出来ました。
キリングフィールドは当時農場で、
収容所で罰を認めた人たちが処刑されただけではなく
一般の人たちが大量にキリングフィールドに運び込まれ、
奴隷のように田植えや農作業などの強制労働を強いられて
過労や餓死で死んで行った人、拷問を受けて虐殺された人など
残酷に殺されていった人たちの霊が眠る場所です。
殺され方が本当に残酷で、鈍器で殴り殺すのはもちろん、
固く鋭い木の茎で人間の喉を切ったり
赤ん坊の頭を木に打ち付けて殺し
その直後に強姦されてから殺された母親たちもいました。
館内は一見緑の多い公園のようでしたが、
拘置所や化学薬品保管室の跡地、
大量埋葬地、犠牲者の衣類や遺骨が入っているガラスケース、
展示室には処刑に使われた道具がありました。
慰霊塔に並べられていた、ヒビが入っていたり
穴が開けられたりしていた頭蓋骨が
その無残さを物語っていました。
しかも、全ての骨が見つかっているわけではなく
未だ館内の土の中に埋まっているものも多いとか。
雨季になると雨で骨の破片や衣類が出てくることもあるらしい。
私たちはツアーで行き、持ち時間が1時間半でした。
正直、ギリギリひと通り回れたけど
もう少し時間を気にせず説明を聞きたかったです。
ゆっくり回りたい人はトゥクトゥクで行くことをお勧めします!
何とも言えない感情を抱えたまま時間になり、
次にトゥール・スレン虐殺博物館まで行きました。
この収容所では、無実の人々が拷問を受け
冤罪となったり架空の裏切り行為を供述書に書かされ、
後にキリングフィールドに運ばれていったそう。
個人的には、こちらの博物館では気分が悪くなるくらい
目を背けたくなるものがたくさんありました…。
この博物館は収容所として使われましたが、
もともとは学校だったようです。
大きく4つの棟に分かれており、
高校の部屋をレンガで区切った独房もありました。
レンガ一個くらいのブリキの簡易トイレと、
繋がれていた鎖が約1畳の部屋にあるだけです。
他の棟には拷問ののちに虐殺されベッドに横たわっている写真と
その当時のベッドがそのまま置いてある部屋や、
当時の拷問方法を描写してある絵、使っていた拷問器具、
被害者となった人たちの顔写真などが展示してありました。
この写真や道具がとてもリアルで、
拷問を受けた部屋には血痕も残っていました。
わずか30~40年前にこの場所で非人道的な行為が
行われていたのかと想像するだけで、気分が悪くなりました。
相方くんはバシバシ写真を撮っていましたが、
私は写真を撮るには耐え難く、
そして自分のカメラに記録として残しておきたくなく
見て回るだけで精一杯でした。
カンボジアの残酷な歴史を知ってから教えてもらったこと。
それは、カンボジアには60代以上の高齢者がいないんです。
全ては、この出来事が原因です。
見終わってから夕方にCentral Marketに行き
ラオス行きのバスチケットを買いに行ったのですが
街を見回して確かに高齢者は旅行者ばかり。
併せて、現在の成長したプノンペンの街を見ながら
この人たちの家族や先祖は犠牲者だったんだろうなと
思うと、とてもいたたまれない気持ちになりました。
どちらの場所もカンボジアの歴史や事実を知るのには、
辛いけど見応えのある場所でした。