恐れていたこと
9月の後半に大学は後期に入った。
あいかわらず眠そうではあるが、とりあえず頑張って学校へ行っていた。
10月に入るとまた調子が悪くなり、救急搬送まではいかなかったがはたびたび迎えの要請が来た。
どうやら苦手な授業が多いのが月曜日、火曜日らしい。次第に休みがちになった。
ある日のこと、午後の授業に行った息子がなかなか帰らない。GPSをつけているので見てみると、学校の近くの店の前でとまったまま。もしかして…
そのうち私のスマホに見知らぬ番号が通知された。
「息子さんが道で倒れています。今救急車を呼びました」
通りかかった学生さんが息子のカバンにつけていたヘルプマークにかかれた私の番号にかけてきたのだ。
とうとう道端でも倒れてしまったか…
もう、無理だ…
あふれる涙をぬぐいながら息子のところへ向かったのだった。
夏休み
8月。ほぼ発作はなくなった。
やっぱり学校が起因していることは明確だった。
家族旅行に行ったりのんびりゆっくり過ごした。
もうこのまま休学かな…
そう思っていたが、本人はやはり9月からも大学に通うと言う。
また発作が起きたらどうする?
でもこのまま家にいてもしょうがないか。
そのまま息子の言うことを信じ、後期の学費を振り込んだのだった。
どうか、息子に人並みに学生生活を送らせてください。お願いします。
その時はそう願うしか、なかった。
病気が憎い
息子は小さい時から手のかからない子だった。
外でグズったりして困らせることも一切なかった。
私が仕事に行く時に保育園でバイバイする時だけは泣いて離れないときもあったけれど。
スクスク成長して、スポーツも勉強もできる、優しくてカッコいい男子に成長していった。
超がつくほどの進学校に入った後も、部活に模試に恋愛に遊びに…キラキラ輝いている息子はいつもまぶしかった。
病気は息子から何もかも奪っていった。
勉強もできなくなり、大好きな運動も制限され、車の運転どころか自転車も禁止。
友達もどんどん離れていく。
どうして?
あんなに輝いていたのに。
息子が何をしたっていうの?
あんなに大事に大事に育ててきたのに。
どうして息子は難病になったの?