こんにちはpocceです
ここ数日アドラー心理学関連の記事ですが、もう少しお付き合いください。
アドラー心理学関連記事
八方美人っていう言葉、あるじゃないですか。
誰にでも良い顔をするという意味の八方美人。
これと、「誰に対しても能動的に愛する」は何が違うのか?
私は、カフェの接客で「能動的に愛する」をした結果、お客様に愛されました。
(こちらの記事参照)
当時の私はその違いを認識していなかったので、自分がやっていることは八方美人と言われることなのではないかと疑問に思っていたんです。
八方美人は世間で悪いことだと言われている。
でも、無理するわけでもなく、私は誰とでもうまくやれている…。
どんな人が来ても「どんと来い」と思えるのは何なんだろう…。
「能動的に愛する」なんて私自身は感覚的にやっていたことだし、それを自覚しながらやっている人に会ったことが無いし、人とまずそんな話題になることがなかったので、一人で悶々としていました。
でも今は違いがハッキリわかります。
八方美人は
他人軸に合わせて良い顔をすること。
「能動的に愛する」は
軸が自分にあり、自分発信で愛を与える行為。
八方美人は
他人に媚びているくせに、内心では見下している。
(優劣の関係)
「能動的に愛する」は
他人も自分も尊重している。
(対等の関係)
八方美人は
まず先に相手の存在(価値観)があり、受け身で対応する。
「能動的に愛する」は
先に愛に溢れた自分がいる。
八方美人は
愛されることが目的
(他人の愛に依存している)
「能動的に愛する」は
愛する、ただそれだけ。
(見返りを求めない)
この違い、わかりますか?
昨日の記事で、人には段階がある、と書きましたが
自分が愛でいっぱいになっている状態
が「能動的に愛する」の大前提です。
その段階にいなければ、「能動的に愛する」のは困難でしかないと思います。
でも
本当は
そんな段階すらすっ飛ばせるんですけどね。
「能動的に愛する」は今この瞬間から、誰にでも、本来はできる。
ただ、私は経験で体感しているので、「そういうことだったのか、簡単~!」と思えるし、これからそうで在り続けられると確信できるのですが
アドラー心理学を知って、目から鱗がポロポロ落ちちゃうような人…「能動的に愛する」とは全く違う価値観で生きてきた人にとっては実践するのは難しいのかもしれません。
だって、接客業でそれができていた私ですら、家族くらいの近しい関係の人になるとそんなことすっかり忘れて「愛されること」に重きを置いてしんどくなっていた時期もありましたから。
(もう一つのスピブログの最初の方もそれに陥っていたのがわかります)
まあ、何はともあれ。
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一度読んでみる価値はあると思いますよ
Amazonのレビュー、私は人気の本は敢えて☆一つのレビューを読んで参考にしたりしています。
次回はそれについて書きます。
愛されまくっていて自己肯定感がすこぶる高い息子
ではでは今日はこの辺で
pocce