「それは必ず出来る」 | 消防設備士かく語りき

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川崎の消防設備士、平成め組代表のブログ

 

「一度ベテランの方に依頼して現場に来てもらった方が良い」

 

昨日のロープトレーニングの終了後、インストラクターの方からそう言われた。

続けて、「村田さんの場合細かなミスが多く、指摘した直後から同じことを繰り返している。それでは実際の現場でちゃんと安全な作業が出来ているのか心配です。だから一度経験豊富なベテランの方を現場に呼ばれてみてはどうでしょうか?」と。

 

どうやら昨日、そして一昨日の私のトレーニングの内容を見るにつけ、余程私の「現場での仕事ぶり」に不安を感じたのであろう。

実際昨日の記事でも触れた通り、2日間に及ぶトレーニングの内容は我ながら酷かったと自覚している。

 

こちらは「客」の立場とは言え、しかし「教えてください」とお願いする形で参加したのだから、教える側の立場の者はそこに嘘のない「評価」をすべきで、その意味でそうした指摘の数々は「正しい」と言えるのだろう。

 

指摘ばかりされ悔しい思いは少なからずあったが、とは言え自分自身でも「ダメであった」という自覚もある中、特に何かを「言い返す」などはもちろんしなかった。

ただ「ベテランに来てもらった方が良い」という指摘には少なからず抵抗がある。

 

実は去年、いよいよ高所ロープ作業による外壁調査の業務が決まった直後、私の方から元請でもある建築士の方に「初回はどなたかベテランのロープ作業の技術者の方を手配してもらえませんか?」という提案をしていた。

 

自分自身、20代の一時期に僅かながら高所ロープ作業を行っていたとはいえ、しかし当時は「上の者が全てのセッティングをしてくれた中での作業」という経験しかなく、またその会社のロープ作業は昔ながらの「ブランコ」と呼ばれるもので現在の主流とも言えるロープ高所作業とはそもそもの手順、そして使用する道具からして内容もかなり異なる。

 

去年の11月から新たに業務に取り入れたロープ高所作業であるが、私自身、現在の主流である専用のフルハーネスと下降機を用いての方法は全くの未経験であり、それこそ事前に受講していた「ロープ高所作業特別教育」で初めてそうした機材に触れたに過ぎず、それゆえ当初はかなりの不安があった。

 

なので私の方からそうした提案をし、そしてそこにかかる費用も「全て自分が出します」と言い、実際建築士の方から以前に多少付き合いがあったというロープ高所作業の会社に連絡を入れてもらった。

 

だが程なく「それは無理」という回答があり「ならばもう自分でやるしかない」と、ぶっつけ本番で高所ロープ作業に臨んだ経緯がある。

相談を受けたその会社にしてみれば「そんな得体の知れない者に指導する為に現場に行くくらいなら最初からウチに任せろ」という抗議の意味も含めた「それは無理」であったのだと思う。

 

しかし私自身、結果的にそれで良かったと今では思っているし、また当初そうして少なからず誰かに頼ろうとした自分自身を今は恥じてもいる。

と言うのも、「ベテランが同行する」というのは一見して不安が無さそうに思えるが、私の経験上、安全や安心の担保の意味でベテランを呼ぶのはむしろリスクも大きいと考えている。

 

そもそもベテランという言葉は中々厄介で、一般的に「ベテラン」=「仕事が出来る人」と考えられがちであるが、しかし実際にはそうでもない。

この世の中、仕事の出来ないベテランなど無数に存在している。

「経験が長い」、でもそれは必ずしもその者の技術力とは直結しない。

 

「経験値」がどの様な形で生かされているのかは人それぞれで、「関係者とのやり取り」に経験が活かされている者もいれば、あるいは本当に「ただ経験が長いだけで何も出来ない人」も確かにいる。

 

そうした実社会の現実を踏まえると、安易に「経験者」に頼るくらいなら例えどれほど手探りでも未経験の者が慎重に臨んでいく方が長い目で見れば成果につながる可能性も大いにある。

 

誤解を恐れずあえて書かせて頂くが、ロープ高所作業はハッキリ言って誰でも出来る。

高さへの恐怖感を克服し、後は基本的な技術だけ覚えればどうにかなる。

 

難しいリギング(ロープの結び方)など知らずとも、ごく基本的なものを覚え「ロープが切れない対策」さえシッカリ講じればとりあえず落ちはしない。

「落ちない」と確信出来るようになると自然と恐怖感も和らいでいく。

 

そしてその上で「これは難しい」と思う案件は断れば良い。

「自分たちが出来るレベルの仕事を先ずは請ける」を徹底するのは新しい業務に取り組んでいく上で最も確実な方法でもある。

 

そうして徐々に経験を積んでいく中で人は人は必ず成長し「出来る許容範囲」も少しずつ広がって行く。

安易に誰かを頼ってしまったのではそもそもその業務に向けた「必死さ」が沸き出してこない。

人は必死になることで物事を覚えていく。

 

また現実的な予算も限られている以上、如何に「その予算の中で業務をまとめるのか?」、それもビジネス上、必須の課題である。

だから私は基本的な方針として今後も誰かに頼る気はない。

 

でもネット社会の今、勉強ならいくらでも出来る。

ネットで学ぶことに否定的な人は少なくないが、しかし私の場合、そこで見聞きした物を実践する「場」には困らない。

 

そして何より、私には類い稀な勇気と行動力がある。

だからこれからもきっと出来る。

 

私は何度も書いてきたはずだ。

「やってみよう」というその気持ち、それは即ち(すなわち)「出来る」ということである。

「あんなこと出来ない」と思えば人はそもそもそれを「やろう」とは思わない。

 

だから「やろう」と思った時点でいずれそれは必ず出来る。

そう、自分なら必ず出来る。