「許容の幅」 | 消防設備士かく語りき

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川崎の消防設備士、平成め組代表のブログ

 

本日の私は外注のTと2人、東京某市の現場からスタート。

 

そちらの物件、東京の「市」の中にあっても23区と地理的にも大分近いのだが、いかんせん「山の上」みたいな場所に建っており田舎感満載。

 

古い団地で居室内には火報も無いのだが、一部の部屋に避難ハッチが設置されている為、共用部の作業を一先ずTに任せ、私は各居室の避難器具を見て回る。

同物件の避難器具はかなり古く、ハッチ内のハシゴは巻上げハンドルの無い原始的なタイプ。

 

ハンドルが無いこともあり、以前まではハシゴ自体は降下させず、その場で軽く広げて錆など出ていないか等の確認に留めていた。

 

しかし今を遡ること1年前、若頭のダイゴローがそうした点検をしていた際、住人の高齢女性から「今まで一度もハシゴを下ろしたことがないがそれでいいのか?」との指摘を受けた。

困った挙句、車からロープを持ち出し渋々ハシゴを降下させたのだと言う。

 

それから半年後の今年1月。

今度は私がその物件に行くこととなったのだが、そうした半年前の経緯を鑑み、降下用の短い配線を持参し、入室出来た部屋のハシゴを全て降下させた。

 

するとどちらの部屋の住人からも「貴方の点検が今までで一番丁寧!」などと、もれなくお褒めの言葉を頂戴し、スッカリ気分が良くなった私は申し送りの資料にも「今後はロープや配線を持参して可能な限りハシゴを降下させること!」とわざわざ記載。

 

それから更に半年が過ぎ、本日また私が同物件の点検をすることになった次第。

そんなワケで今回も配線を持参しつつ避難器具が設置された部屋の点検に伺った。

とは言え今回も前回と同様、わざわざ配線を括りつけながらハシゴを降ろす私を見て、皆さまからの「お褒めの言葉」を頂戴出来ると思えばこのダリィ作業も少しは頑張れると言うもの

 

 

がしかし… 行く先々で配線を括りつけながらハシゴを降ろし、尚且つそのハシゴに乗ってわざと「ガチャガチャ!」と音をたてつつ「真面目に点検してますよ」のアピールをする私を見て、誰一人からも「お褒めの言葉」が本日は出なかった。

 

どうやら前回の私の点検を見たことでここの住人達には早くも「コレが普通の点検方法」と脳裏に刷り込まれてしまったらしい。

正直こちらはタイミングを見計らいつつ、あわよくば降下させないかつての点検方法にまた戻そうなどと考えていたのだが、もはやこのやり方がこの物件では「標準」となったようである。

 

まだ私がこの業界に入り立ての頃に聞いた話では、避難ハシゴの場合、総合点検時は実際にハシゴを降りなければダメだが、機器点検時は降下させるだけでわざわざ身体を載せなくてもよい、などと聞いた。

 

実際のところその辺りは結構曖昧ではあるが、しかし避難器具に限らず、もはやどの設備であれ「教科書通りの点検」をするのは現実的ではない。

 

私は度々このブログ上で煙感知器の感度試験についての「ムダさ加減」にも言及してきたが、点検費用の価格競争が未だ止むことが無い中、もはや新規で点検を請負う場合など、ある程度「適当に点検」をすることがむしろ現場では必須となりつつある。

 

そうすることで次回以降の点検時に何かしら「手抜き点検」の疑念を客から指摘された際、「現状よりもう1ランク上の点検」をすることで客側を納得させる必要が出て来る。

 

確かに初回点検時は「次回以降の点検を滞りなく行う為」にも、時には赤字覚悟で人数を入れて臨むことは多々あるが、一方でそれはあくまでも初回に留め、2回目以降は人員を削り、可能な限り手を抜くことで経済的な赤字はもとより、体力的な赤字をも極力抑える必要がある。

とは言え、あまり手を抜き過ぎて「業者変更」となっても困る。

 

それを考えると実際に現場で作業する者たちは「真面目」と「適当」、毎度そのギリギリのラインを見つめつつ「手抜き容疑」をかけられた際に負担なく「もう1ランク上の点検」をする為の余地をどこかに残しておかねばならない。

ハッキリ言って現状の情勢では「真面目にやり続ける者」が損ばかりをする、と言える。

 

どんな仕事であれそこには「許容される適当」が存在しているのだろう。

だが消防設備業に関して言うと、その「許容の幅」が少々拡大していると感じる。

「命は金に代えられない」、そうした理想論にはもはや聞く耳を持つ者すらいなくなりつつある。

 

未だ明るい業界の未来が見出せないのは私の努力がまだ足りないからなのか。

あるいはただこの業界が暗すぎるだけなのか。

「答え」を知るのはまだしばらく先になりそうである。

 

旧式のハシゴに身体を預けながら、そんな業界の近い将来のことを考えるわたし代表村田であった。