「あまりにも無礼過ぎた」 | 消防設備士かく語りき

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川崎の消防設備士、平成め組代表のブログ

 

最近、20代の男女のアルバイトが1名ずつ入ったこともあり「若者への指導の仕方」などについて考える機会が増えた。

 

正直その2名が「いつまで続けてくれるのか?」など不安要素は多いが、とは言え、入ってもらった以上は「今後もずっと続けてくれる」と信じて指導をしてゆくしかない。

 

「どうせ続かないだろう」とこちらが勝手に解釈し、指導を疎かにしていたのではそんな人間、ハッキリ言って一生他人を雇用出来ない。

そもそも若かろうが中年だろうが、新たに雇用した人間が続くのは精々5人に1人程度の「小さな奇跡」みたいなもの。

 

さてそうした中、20代の人間を指導するにあたり私自身、己の心に誓っていることがある。

それは「何があろうとも決して怒鳴ったりしない」ということ。

と言うのも、そうした自分より2回りほどの若者と会話をする中、恐らく必ずどこかのタイミングで私自身が苛立つ瞬間があると思うのだ。

 

でもそこで感情のままに「お前は…!」と多少なりとも声を荒げようものならきっと当人は委縮し、今後言いたいこと、言うべきことも言えなくなってしまいかねない。

 

どれほど若い新人であれ、仕事をする上での希望、要望などはベテラン社員と同様にそれを発言する権利があって然るべきものだ。

必要以上の休みの希望などは無理にせよ、常識の範囲内で要望を出すこと自体は何ら躊躇うことはない。

 

その要望を「許容するか否か」は別の問題だが、しかし誰であれ、希望・要望は出しても良い。

でも声を荒げ、そうしたことを言えない様な環境をもしも私自身が作り出してしまおうものなら、それは人を雇用する立場としてはやはり適性を欠いてしまう。

 

その相手が相応のキャリアを持った中堅以上なら時に声を荒げることもあるが、しかし経験のある者たちはその後のこちらのフォローにも理解を示してくれる。

 

しかし社会経験の乏しい10代や20代前半の者の場合、根本的に「怒鳴ってしまったら最後」であろう。

その時点で「辞めます」と言われても、「怒鳴ってしまった」という事実がそこにある以上、もはや引き留める根拠が見出せない。

 

そうしたことを考える中、「自分が10代、20代の頃」についても最近度々思い返す。

今改めて当時の自分の言動を思い返すと「よくあの時キレられずに済んだな」と思うことが非常に多い。

 

15歳の頃、地元の塗装会社の見習いとして入社したが、あるとき社員旅行先が「沖縄」と聞き、当時たまたま沖縄に良い印象の無かった私はベテラン社員の目の前で「沖縄に行くこと自体何を考えてるんだか…」などと口走った。

 

その時、丁度今の私と同じくらいの年齢のそのベテラン社員の方は軽く笑いながら「まぁ会社の旅行だからね」と流してくれたが、とは言え相手次第ではぶん殴られても仕方がない無礼な言動であったと思う。

 

会社の呑み会に誘われた時も「沢山食べてるか?」と聞かれ、社長の目の前で「ハイ。義理で飲み食いしてます」などと平気で口走り、今にして思えばその瞬間、社長はめちゃくちゃ苛立ったと思うが、しかし怒鳴られるなどは無かった。

 

帰宅時、その社長に車で送って頂いたが、その車中「なぁケイスケ、社会の中で働くには皆少なからず自分の感情を殺している。それが社会人ってものだ」と諭された。

当時はあまり理解出来なかった私だが、しかし今本当に思うのだ。

その会社には嫌な人間も多かったが、しかしそれでも尚、私は人に恵まれていたと。

 

自分自身がこうして大人となり、そして人を雇う立場となり、当時の自身の無礼極まりない言動の数々に今更ながら冷や汗をかくと同時に、それでもただの一度も怒鳴られなかったというのは、周りの大人たちが「若者を指導する」ということの難しさ、そして大変さを個々が十分に熟知していたからなのだろう。

 

現在は言うに及ばず、当時も職人稼業は「若手の不足」が叫ばれていた中、しかしその会社には次から次へと若者が入ってきていたが、それはとりもなおさず「若者への指導」を社長以下、各ベテラン社員がよく理解していたからに他ならない。

 

「苛立ちを如何に抑え指導を続けるのか?」

それを理解出来てこそ、その者は「大人」であり、また「社会人」でもあるのだと思う。

当時の自分はあまりにも生意気で、あまりにも世間知らずで、そしてあまりにも無礼過ぎた。

 

それでも尚、「怒られる」ということが無かったのだから、その肌身で感じた当時の大人たちからの「教え」を今後は自分が実践していかねばならない。

そしてそれを理解し実践出来れば、若者は今後も必ず来てくれる。

 

これから先、まさにこれまでに己の人生経験を活かしてゆかなければならない。