「コケとキノコ」 | 消防設備士かく語りき

消防設備士かく語りき

川崎の消防設備士、平成め組代表のブログ

 

今から12年ほど前。

 

当時は現在のこの「消防設備士かく語りき」ではなく、また別のタイトルのブログを更新していた。

その後、同時進行でこのブログも更新するようになったのだが、ある時期からこちらのブログに一本化し、そのもう一つのブログについては完全に閉鎖した。

 

しかしながらその前ブログ時代に綴った記事で自分でも気に入っていた記事が何本かあり、それらは文章を一部改編などした上で、改めてこの「消防設備士かく語りき」でも記事として掲載した。

 

現在更新しているこちらのブログを辿ると、そうして「かつてのブログに掲載していた記事の改訂版」とも言うべき記事が何本か残っている。

 

そしてその中に「松竹梅、その下は…」と題した記事があった。

記事の内容を大まかに説明すると以下のようになる。

 

 

「よく格付けなどに用いられる「松竹梅」であるが、しかし実は松竹梅は5段階ある中の上3つであり、梅の下にはまだ2つの等級が存在している。梅の一つ下が茸(きのこ)で、更にその下には苔(こけ)がある。したがって松竹梅は正式には松竹梅茸苔(ショウチクバイタケコケ)と呼ぶのが正しい」

 

 

記事の中ではあくまでも「私自身が散々調べた末にその歴史的事実を突き止めた」という体(てい)であるが、しかし実際には完全なる私の創作(フカシ)である。

 

だがさもそうして「衝撃の事実発見!」という形で掲載することで、もしかしたら「松竹梅茸苔」が世の中に広まり、あるいは皆が日常的に使い出したら面白い、などと考えていた。

実際掲載してから程なく、私のその記事を見たらしいどこかの一般人ブロガーが「松竹梅茸苔」について触れているのを確認。

 

なので「よし! 少しづつ浸透してきている!」と密かに喜んだ私。

がしかし、以後は全く誰も松竹梅茸苔に触れてくれる者はおらず「もはや松竹梅茸苔の世の中への浸透は無理か…」と半ば諦めかけていた。

ところがである。

 

一昨日、改めて松竹梅茸苔を検索してみると今までなかった記事が検索に引っ掛かった。

しかもそれは、あの「皆の百科事典」であるwikipediaにもその名が見られる某有名コラムニストの方の記事。

 

その方がなんと、ご自身の書かれているコラムにおいて「松竹梅茸苔」をその方自身が見聞きした様々な品の格付けに使って下さっているらしいことを知った。

 

過去に松竹梅茸苔に触れてくれていたのは特に影響力のない一般人ブロガーが数名程度であったが、しかし今回は相応に名の知られたコラムニスト。

私が長らく温め続けていたこの「松竹梅茸苔」が、いよいよ今後世の中に浸透するのではないかと今密かに期待している。

 

そうして次第に松竹梅茸苔が浸透することで、やがて「この言葉の出所は?」という話になり、そして「この言葉を作った張本人」として私がどっかの暇な記者から取材を受ける…

そんな素敵な目論見(もくろみ)。

 

だから本当はあえてこうしてその件には触れないでいた方が格好イイ。

しかし有名コラムニストが使ってくれていた喜びを前に、そんな冷静かつ知的な判断など私に出来るはずもない。

 

今後もビシバシとこの松竹梅茸苔を使ってほしい。

そして世の中に浸透させてほしい。

 

 

だが一方… 

ほんの数秒前に「完全なる私の創作」と言っておきながら何だが、実は「茸」については堂々たるパクリである。

 

1980年代半ばから後半にかけて「りぼん」なる少女向け漫画雑誌が販売されていた。

5歳上の姉が当時そこに連載していた「お父さんは心配症」という漫画のファンであり、その最終回にて主人公の「お父さん」と結婚式場のスタッフとのやり取りに出てきたのが「本当の最初」である。

 

 

当時姉が持っていたその漫画のコミックで初めて「茸」を見て一人部屋で笑い転げ、それからずっと「梅の下の茸」が頭から離れなかった。

 

そしてある時、「どうせなら5段階にして記事にしてしまおう」と思い、茸の更に下に「苔」を加え、ブログ記事として書いた、ということである。

なので「苔」については本当に私の創作である。

 

「苔も中々上手い」などと自分でも思ったが、とは言えやはり「茸(きのこ)」の存在無くしてその記事は書けなかったと今でも考えている。

因みにその「お父さんは心配症」の作者は岡田あーみんという女性漫画家で、連載当時はまだ二十歳前後の若さであった。

 

岡田あーみんは「ちびまる子ちゃん」の原作者である今は亡き「さくらももこ」とも親交が深く、一部共作などもあったほど。

 

突拍子もない文章で笑わせるその力量はどこか現代の人気お笑い芸人たちを彷彿とさせるが、それを当時二十歳前後(連載開始時は19歳)の女子が書いていたという事実が未だ信じられない。

「梅の下の茸」などという発想、常人には到底思いつかない。

 

そんな岡田あーみんの言葉のチョイスが現代でも通じることを一人の「あー民」(当時ファンはこう呼ばれた)として証明したい。

松竹梅茸苔にはそんな私の想いも少なからずあるのだ。

 

さあ諸君(ヒマ人ども)、明日からこの松竹梅茸苔、何かにつけて使うがいい!

 

 

 

10代未経験でもOK!!