もう10年以上昔のことだが、現在のこの「消防設備士かく語りき」をかく以前、また別のブログを数年間書いていたことがある。
その当時の話であるが、ある時、私が少年時代に学んでいた「少林寺拳法」という武道について徹底的に批判した記事を書いた。
「批判」といってもそれは組織運営云々などではなく、あくまでもその技術的な部分についてである。
少林寺拳法には数多くの「技」が存在しているが、中でも柔法と呼ばれる組技の多くが「自身が立った状態のまま相手の関節などを極めて制する」というものであった。
がしかし、「1対1」の実戦において「自分が立った状態のまま相手を制するのは不可能」というのが私なりの結論である。
「私なり」と書いたが、現在は取り立てて武道などの練習はしていない私だが、その少林寺拳法を含め、10代から20代にかけて様々な武道を学んできており、武道に関して「完全なるど素人」ではなないと考えている。
少林寺拳法、剣道、柔道、空手、ITF系テコンドーなどを学び、その上でそうした結論に至っている。
少林寺拳法は「力をあまり使わず相手を制する」ということを技を極める上での一つのコンセプトにしていたように思うが、自身が立ったまま相手を制するというのはある意味、そうしたコンセプトの真骨頂とでも呼ぶべき部分であったのだろう。
だが一方、「護身術」を謳う少林寺拳法として、私はこの部分にこそ「欠陥がある」と長らく考えていた。
「護身術」とは端的に言って「身を守る手段」である。
「襲う側」の心理に立って考えた時、では果たして自分よりあからさまに身体の大きな人間を襲うのであろうか?
恐らくは「この相手なら確実にいける」と踏ん上で行動を起こすのだから、先ず自身よりも体格的に下回る人間を標的にするはずだ。
女性や老人がひったくりなどに遭いやすいのは正にそうした事情があろうことは疑う余地が無い。
つまり真の護身術に求められる技術は「自分よりも遥かに大きく屈強な相手と戦う術」である。
例えば体重別で行われる総合格闘技の試合においても、しかし組技で相手を制した時、ほぼ全身を使って相手の動きを封じにかかる。
その上で関節などを極めてギブアップを引き出すのが常。
あらゆる過去の総合格闘技の試合において、「片方の選手が立った状態のまま技を極めギブアップを引き出した」という例は殆どないのではなかろうか?
そうした「実戦的な視点」に立って考えてみた場合、やはり少林寺拳法の技は「欠陥だらけ」というのが私なりの結論である。
理想を追求するのはある意味当然のことであるが、しかし理想を追求する上で最も忘れてならないのは「現実と向き合うこと」に他ならない。
現実と照らし合わせる中で各技の「実用性」を論じるべきだが、しかし少林寺拳法はいささか理想ばかりを追い求めていた様に当時は感じたものだ。
加えて、少林寺拳法の技は少々理屈の部分が多すぎた。
しかしいくら「理屈」を鍛えてみたところで、それは暴漢に襲われた自分の身を守ることにはつながらない。
そうした経験と想いからかつて少林寺拳法を「タコ踊り」とまで批判し、結果、少林寺拳法の愛好家から「オイ村田! 自分と戦え!」と自宅にまで電話がかかってきたりもした。(その人物とは既に和解済)
ただ私自身の考え方は未だ変わることは無い。
ところでよく「最強の格闘技は何か?」という話になる。
実際のところ「最強か否か?」はあくまでも個々の選手の格闘家としての能力の問題であり、どれか一つの格闘技(武道)をもって「これが最強」となどと言えない。
がしかし、見方を変えてみれば「最強」と結論付けることは可能であると私は考える。
それはつまり、相手から「この人物とは絶対に戦いたくない」、「戦うのが本当に怖い」と思わすことが出来れば、それはある意味で「最強である」と言えるのでないか?
その意味で「素人ではない」私なりに一つの結論を出させて頂きたい。
私が思う最強の格闘技、それは紛れもなくボクシングである。
これもまた昔から思っていたことであるが、確かに過去、「元世界王者」という肩書を持った人物の何人かが総合格闘技などの試合に出て派手に敗れたりもしている。
がしかし、その多くが「現役時代でも二線級」の世界王者であり、またそもそも彼等は「ボクシング」の選手であって総合格闘家ではなかった。
だが良く考えて欲しい。
現役のスーパーミドル級やヘビー級の世界王者と本気で「ことを構えよう」などとは誰一人思わない(思えない)のではないだろうか?
ボクシングは極めてシンプルだ。
表現は少々荒いが「相手を殴って倒せば勝ち」である。
先日、とある総合格闘技の人気選手が元王者のフロイド・メイウェザーとボクシングルールで戦い、軽く負かされたようだが、しかしボクシングルールで戦うのであればわざわざ世界的にも著名な元世界王者を連れて来るまでもなく、私は同クラスの日本王者と試合をしてもアッサリとやられるだろうと考えている。
かつて「マイク・タイソン」がボクシングヘビー級世界王者として君臨していたが、あの頃本気でタイソンと「喧嘩してやろう」などと思う人間は太陽系の中に一人も存在しなかった。
かつて私は「ボクシング中毒」と呼んでも良いほどのボクシング好きで、大袈裟でなく「ボクシングのメイウェザー」と聞くとフロイドの叔父である「ロジャー・メイウェザー」の名が先に浮かんでくるほど。
圧倒的なディフェンス力を武器に、決して「無理にKOを狙わない」というフロイドの戦い方は一部で「臆病」、「つまらない」などとも評されたが、しかし彼の叔父である「ロジャー」は引退後、完全なるパンチドランカー(※)と成り果ててしまった。
(※元ボクサー特有の後遺症。脳へのダメージの蓄積で普通の生活すら送れなくなること)
その光景を目の当たりにしたフロイドが「打たせずに勝つことの重要性」を徹底し、結果的にあの完全無欠なスタイルが出来上がっている。
現実と向き合いながらも「理想の戦い方を追い求めること」はとても勇気が要ることであり、その意味でフロイド・メイウェザーは臆病者でもなければつまらない試合をするボクサーでもなかった。
さて少々話しが逸れてしまったが、もはや「あの人物と戦うことなどとても出来ない」と思わせることが出来たのであれば、それは戦わずして勝利しているとも言える。
そうした「畏怖の念」を本気で感じとれるのは私はボクシングの、尚且つ中量級以上の現役世界王者こそが正にそれであると考える。
実際、「ボクサーのパンチ力は別格である」と多くの格闘家が口にしている。
「60㎏未満」に限定すれば、日本人で一番ケンカが強いのは井上尚弥をおいて他には考えられない。
だから私は言いたい。
「最強の格闘技」、それはボクシングであると。