「葛藤」 | 消防設備士かく語りき

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川崎の消防設備士、平成め組代表のブログ

 

「初心忘るべからず」

 

現場応援もまた大切な業務の一つ…

そう己に言い聞かせつつ、日々業務に当たっている私。

 

ほんの数年前まではまだ一人親方の状態で、当時はほぼ毎日がどこかしらの会社の現場応援。

とは言え、独立直後はそうした応援業務すらもなく、それこそ1ヵ月の収入が10万円を切ることも珍しくなかった。

 

実は独立前まで趣味で葉巻やパイプ煙草なども嗜んでいたのだが、しかしそのあまりの金欠状態に「先ずは嗜好品の類を止めなければ…」と、長らく嗜んでいたそれら葉巻類を止めた経緯がある。

 

仕事の無い不安から眠ることさえままならなかった当時。

それを思えば現在の様に請け現場もこなしつつ、応援業務の依頼も切れることなく頂ける現状は端的に言って「幸せ」なことである。

請け現場をこなすのに比べ、応援はあくまでも「一人当たりいくら」の計算。

 

一人親方の頃は自分の生活費だけ稼げればそれで良かったので何ら不満も無かった。

がしかし、現在のように社員を抱えてしまうと正直、応援業務で頂ける程度の金額では「到底儲からない」のが正直なところ。

 

ハッキリ言ってしまうと「何もしないよりはマシ」というだけで、実際もしもウチの業務が全て「他社の現場応援」だけであったとすれば、もはや従業員の給与を払ってしまうと大袈裟でなく「差し引きゼロかも…」というレベルである。

 

うちは私を含め社員は僅か3名の小規模な組織であるが、それでも1ヵ月あたりの社会保険料だけで30万円近い。

応援業務で頂ける金額では到底利益の捻出までは難しい。

 

そうした現実を鑑みると、かつては「嬉しい」と思えた現場応援もここ最近は心の何処かに「こんなことをしている場合じゃない! もっと「自分たちの仕事」を増やさなければ…!」という焦りにも似た感情が湧き出る。

もっと自分たちが主体的に行う「請け現場」を増やし、より多くの実りを求めていかねばと。

それ故、何だか近頃の私は他社の現場応援に「やる気」を出すことが出来ずにいた。

 

ただ誤解されたくないのは仕事自体は卒なくこなしており、決して「適当」に作業はしていない。

これはあくまでも自身の気持ちの奥底の問題、ということである。

だが最近、ここに一つの葛藤が生まれてきた。

 

確かに他社の応援業務とは「やらないよりかマシ」という程度のものであるが、しかし一方で仕事が無かった頃は大袈裟でなく「応援業務こそが全て」であり、そうした応援業務のお蔭で今日まで「生きてこられた」とも言える。

 

実際、日頃から多くの請け現場をこなす知り合いの同業者の多くが、皆スタート時はそうした応援業務を主軸にしてきている。

なのでうち程度の若い法人であればまだまだ応援業務が多いのはある意味当たり前とも言える。

 

「応援業務の依頼を頂けるのは有り難い事」

それは頭の中で理解しつつも、しかしそこに中々注力出来ずにいる今の自分。

 

「初心を忘れ、少々驕り高ぶってしまったのか」と思う時もあるが、一方でこうした感情は「仕事への貪欲さ」の現れ、つまりは「より大きく成長することを目指しているからこそ」出て来る気持ち… そう解釈することも出来る。

 

「このままでいい」と思ってしまえば人はそれ以上成長できない。

それと同じで、より組織として成長を目指すのであればより高いレベルでの仕事をしてゆく必要がある。

そしてそれこそがより高い技術と、そしてより重い責任を担うことになる請け現場の存在なのだ。

そこを意識するあまり、最近は応援業務に注力出来ずにいるのだろう。

 

だがそうした応援業務が更なる大きな仕事に繋がることもまた事実

「応援などしたくない」、「でもそうしたことを繰り返す中で得るものもある」

そうした相容れない感情が己の中でぶつかり合いながら、ただ我武者羅に己の仕事に没頭する。

 

応援業務に「注力は出来ない」が、一方で仕事そのものには「我武者羅に」取り組んでいる今の自分。

どちらの感情が正解なのか、あるいはどちらも正しいのか。

自身が納得出来る答えを見出すにはまだ時間がかかりそうである。

 

自分も、そしてこの平成め組も、もっと早く、そしてもっと大きく成長させなければ。

未だ腰を下ろす暇はないのだ。