アイルランド出身の詩人
オスカー・ワイルドの書いた童話
【幸福の王子】というお話です。
小さいころ、このお話を聞いて
心がモヤモヤしてました。
モヤモヤしない?
じゃあ、まず
この中に出てくる登場人物を
答えましょう、と
言われたら誰と答えますか?
幸福の王子
ツバメ
だけでしょうか?
伏線になっている『町の人々』
そして、幸福の王子の
カラダの一部をもらった
貧しい人々もいますよね。
その登場人物を踏まえた上で
私のモヤモヤポイントを書いてみます。
幸福の王子が
自分の目的達成のため
ツバメを犠牲にしたこと。
(ただそれは意図したものじゃなく
自分が頼れるのがツバメで
ツバメの状態まで考えてあげられる
心の状態ではなかったことが推察されます)
そこにまずモヤモヤ。
そしてそれに
従順に答えてしまったツバメにも
モヤモヤします。
(幸福の王子の優しさに心打たれ
彼のために今自分ができることを
遂行したに過ぎない)
幸福の王子は
貧しい人々に施しをすること、
お金があることで幸せになると
信じていることにもモヤモヤ。
最後あたりまで
町の人々は出てきませんが
ちょっと見方を変えてみましょう。
町の人々は貧しい人々に対して
協力的だったり
笑顔のある状況だったら
幸福の王子は施しをしようと
思ったかしら?
幸福の王子の
鉛の心臓が割れてしまったあと
「いつの間にか美しく無くなってしまった。
溶かしてしまう」と言い放った町の人々。
昔は私
そんな町の人々にも
モヤモヤしてました。
冷たい!何にも知らなかったくせに!と。
でもね、大人になって思うんです。
この物語のとらえ方は
読んだ人たちの主観が大きく
左右するって。
幸福の王子が一番願っていた
施しを受けた貧しい人々は
幸せになったのだろうか。
そう思ったあなた!
よく読んでくださいね!
飢えに苦しんでいる人に施したんですよ。
ってことは普通の生活をしている人に
施したわけではないので
食費にしかならないかもしれません。
もし施された宝石を売りに行って
いやらしいブローカーだったら・・・
施された宝石を「偽物だ!」と言い
取り上げられてたら?
など、ネガティブに考えたらキリがありません。
そしてこの話
幸福の王子は『偽善者』って
そんな話さえあるんですよ!
偽善者・・・
偽善者とは、自分の気持ちはどうでも
外面は善い行いをしているように
装ってる人のこと。
幸福の王子は施すとき
善い行いをしようとはしていなかったと
思うんです。
『幸せになってほしい』
ただそれだけ。
それを偽善者という人たちが
いることにも実はびっくりしたのだけど。
ただ・・・
偽善者が偽善の行為をしたことで
幸せになる人が増えたなら
それはそれで良いんじゃないかと
思うのは間違いなんだろうか。
偽りにしても善の行為。
思ってもないくせに!と言われながらでも
文句言って何もしてない人より
すごく善人じゃないかしら?
この物語は反面教師で
みんなが幸せになれる方法も
示唆している気がしませんか?
もしも、幸福の王子が町の人々に
「ボクは貧しい人々に
自分のカラダに付いている
お金になりそうなものを施します!」
・・・と、声を出せて言えたなら?
(別な物語になっちゃう)
幸福の王子ほどの施しは無理でも
町の人々の中に
貧しい人たちが飢えに苦しまず
食べられる仕組みはないのか?
ツバメだけががんばるのではなく
周りの人たちも協力してくれる
そんなやり方はなかったのか?
不思議不思議。
これって、現代社会にも通じる話だったんですね~。
日本でも海外でも著名人たちが
困っている国や、被災地、、被災者・・・
協力を必要としている人たちに
金銭やボランティアを協力することが増えてきている。
その人たちのネームバリューで
ニュースなどを見ない人たちが
「そんなことがあったんだ!」と
事件や状況を知ることもある。
そのひとつの例が杉本彩さんが
おこなっているペットの保護活動。
書かせていただきました。
著名人がやるからこそ広がることもある。
それを一国民が誰にも知られずやったって
感謝をされても微々たるもの。
ツバメのように一羽でがんばるのではなく
協力者を求める。
そして受け取った人たちが幸せと感じたら
今度はその人たちが別の人たちに
幸せのバトンを渡していく。
もし押し付けがいやだったり
その後問題が発生したら
それはその時に考えればいいこと。
やってみないとわからないこと
たくさんあるもんね!