10月12日 (2) | h

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「清正の石曳き」を模した像。

加藤清正は石垣づくりの名人であった。

築城の際、最も重要な天守台の石垣を任された彼は

巨石を運ぶにあたり自ら石の上に乗り音頭をとった。

…運ぼうとする石に乗ったんじゃないと良いけど。

人一人分重くなる。迷惑。

 

 

生の加藤清正公。

歩いていらしたので声をかけて写真を撮らせてもらった。

笑顔満開・元気いっぱいで声かけたんだけど

清正公と来たら笑顔の一つも見せず尊大な態度。

 

 「おはようございます!」

  「おはようさん。」

 「写真、撮らせて貰ってもいいですか?」

  「良いぞ。」

 

あーもーー偉っっっそうに!

ときめくわ!!そんなんされたら!

しかし考えてみれば偉そうにされて当然だわな。

あちらは武将。こちらは庶民。

それに彼、こう見えて永禄生まれの461歳。

400歳も年下の身分の低い者に挨拶返すだけで奇跡。

しかも分不相応なお願いに応じてくれるとか神。

背景こっちで、って言ったら移動してくれるし

何も言わんでもポーズとってくれるし

実はめちゃくちゃ優しいんじゃないか。

偉そうで優しいだと? やめて。心臓が爆発する。

なお赤ん坊には普通に優しく、笑顔も見せていた。

 

旗と太鼓を持つ左の男性は十吾さん。458歳。

農民で、清正公に仕え従軍した人。

例の石垣づくりにも携わった。

一人で来ていて清正公とツーショットが撮りたい時や

グループ全員一緒に写りたいという時は

「しからば」と十吾さんが撮影係をやってくれる。

外国人だと清正公の肩に手を回す人もいて

十吾さんが「ノータッチ!」と制止。

もう!気安く触るなよ!この御方をどなたと心得る!

って実際の理由は衣装の保護かな。

 

忍者も歩いてたけど、まあいっかと思って

声かけず写真も撮らず、会釈して横を通り過ぎた。

日本人にはあまり人気がなかった。外国人には人気。

外国人観光客、思ったより多かったなあ。

 

 

本丸へと向かう。

 

 

右側が東南隅櫓。左に見えるのが本丸表二之門。

いずれも慶長17年頃に建てられたもので

重要文化財に指定されている。

かつて櫓には武具が収められていた。

出窓は石落とし付き。

 

 

最も内側、本丸を囲うお堀。

 

 

本丸表二之門。古名は南二之門。

左右の壁に四つずつ鉄砲狭間が設けられている。

 

 

清正石

石垣の中で最大の石材。

石垣と言えば加藤清正!

清正が積み上げた巨石!清正石!

と伝えられて来たが、ここの石垣は黒田長政の担当。

なのでおそらく清正は関わっていない。

黒田長政が生きてたらきっと抗議する。

 

 

旧二之丸東二之門。重要文化財。

本来は二之丸東の外門であったが昭和38年に解体。

昭和47年に本丸東二之門跡(現在地)に移築。

更に平成22年から24年にかけ解体修理。

昭和38年の解体は体育館建設のため。

二之丸に体育館建てんでも…。

建てるとして門はそのまま残すとか…。

開発ゴーゴー!な時代だった?

あ、高度経済成長期だ。

 

 

天守閣と小天守閣。

左手前に見える平屋建ては本丸御殿の一部。

 

 

天守閣も小天守閣も閉鎖中。

再開予定は最短でも2032年になる見通しだとか。

本丸御殿は絶賛開館中!

 

 

金の鯱で有名な天守閣。

慶長17年に完成。昭和20年に空襲で焼失。

昭和34年に鉄筋コンクリート造で再建。

この時に木造で再建出来ていればなあ。。。

金の鯱も同年に復元されたもので

北(写真右)が雄、南(写真左)が雌。

雄と雌とで若干違うけど、高さ約2.5m、重さ約1.2t。

高さはさておき、重さにびっくり。

金鯱の鱗には18金が使用されている。