これも…恋物語(30) | 気紛れな心の声

気紛れな心の声

気がついたこと 不意に感じたこと とりあえず残してみようって^^…最近は小説化しているけれど、私の書き方が上手くなるように感想くださいね

約一年前。国立大学病院のあるその駅にプレゼンの為の会社を訪れる哲也がいた。本来は、先輩である高須の仕事なのだが、急遽でかける用事が出来たためのピンチヒッターだった。
とは、いえ、少しは気の楽な仕事だった。
高須の仕事は定評がある。
誰が引き継いでも困らないようにプレゼンの他に緻密な資料が用意されていた。相手側の質問に際しては、少し調べれば返答ができる。ただ、このプレゼンにかける意気込みは並大抵のものではなかった。そのプレゼン当日、指名されたとはいえ哲也がそれを引き受けるのには躊躇があったことも事実だ。
(あれ、先輩…と、奥さん)
哲也は、偶然にも改札を出て行く高須夫妻を見た。デートという雰囲気ではない。好奇心という魅惑の思いがそこにはあった。とはいえ、ついていけるわけもなく、哲也は仕事に行ったのだが…。
プレゼンは、滞りなく終わり、仮契約書のサインまでもらえた。
「ところで…」
「何か?」
「高須君の奥様は大事がなかったのかね?」
「……(えっ?)」
相手の部長と握手を交わし、声をかけられた内容がこれだった。馬の耳に念仏とはこう言う事を言うのだろう。明らかに頭の痛い話がここにはあった。何も聞いていない。高須とプライベートな話しはあまりしていない。相手が言っている事が何の事なのかもわからない。
「そうか…」
「えっ?」
「忘れろ…彼が話していないのなら、忘れろ…私も口を滑らせた事は忘れる…」
「……忘れません…」
「ん?」
「朝、駅で見かけたので…行き先は国立ですよね…」
「君……」
「人との関わりは、自分で紡ぎだすものだと、高須に教えられました…事情を知ってみて見ぬ振りをするのと…その日との事を知る努力を怠るのとは別物ですよね…」
「……婦人科だそうだ…」
「!ありがとうございます」
哲也は、素直に久しぶりに深々と頭を下げた。
「独り言だ…」
部長は、そう呟くとエレベーターを先に降りた。降り際に彼は、はにかんだ笑みを見せながら哲也に手を差し伸ばした。熱い古いタイプの男がそこにはいた。
哲也は、真っ直ぐに国立病院に向かった。病院にいったからといって何かを知りえる事ができるわけではない。それでも、病院に向かった。
朝、高須を見てから3時間が経過している。大病院の便利なところは、診察よりも待つ時間の方が長い事にある。診察を終え、クスリを受け取り、料金を支払う。その時間短縮は、どの病院でも課題となっているが、計算ソフトに電子カルテの普及をもってしても、それほどの時間短縮につながらないのが現状であった。
「結城…」
「…先輩」
病院の正面ゲートを抜けた喫煙コーナーで高須は普段吸わないタバコを吸っていた。それも不安気に。待っている時間すらも不安なのだろう。それほどの何かが起きていた。
「どうしてここに…」
「朝、駅でみかけたので…」
「そうか…」
「……どうしたんですか?」
哲也は、言葉を選びながらポツリポツリと尋ねた。
「解らん…」
「………」
その言葉に嘘はないのだろう。だからこそ、当事者ではないものは不安になるのだ。
そこに高須の妻が現れた。
「結城君…」
「…ご、御無沙汰しています…」と哲也は会釈をしながら息を呑んだ。
高須の妻は、会社でも役員コースとまで謳われていたキャリアウーマンである。容姿端麗で仕事もできる4つ上の先輩を高須が口説き落としたのは、数年前のことと聞いている。エリートコースにいた彼女が結婚退社をする事に役員は反対したのは入社して間もない哲也の耳にも届いていて、いまだに社の七不思議として語られている。
就職して3年。哲也は、高須に仕事を教えてもらう傍らでその妻にも色々な事を教えてもらってきていた。もちろん、手料理も相伴にあずかっている。
その美貌を哲也は、氷の彫刻的だと感じていた。温和でいて何処か冷たさを持つ感じも、触れれば切れてしまいそうな仕事の手法も、そして、高須が傍にいるときの安心しきった感じの弱さも、それに通じるものがあるように思えた。
その氷の女王は、そこにいなかった。
頬はこけ、健康的な目の輝きもなく、立っているのもつらそうな女性がそこにはいた。
「なぁ、結城…」
「はい」
「良かったら…一緒にいてくれないか…」
「…えっ?」
いつもの高須からは信じられない言葉が漏れた。
「俺で、良かったら…」
多分一人になるのが不安なのだろう。待っている間の不安をまぎれさせる何かが欲しいのだろう。哲也は、会社に電話を入れると体調不良を理由に休みを取った。