これも…恋物語(31) | 気紛れな心の声

気紛れな心の声

気がついたこと 不意に感じたこと とりあえず残してみようって^^…最近は小説化しているけれど、私の書き方が上手くなるように感想くださいね

あの日から高須は5時まで男と呼ばれるようになった。出世コースから外れながらも本社のそれなりのポジションにいられるのは、妻の残した業績だと陰口を叩く者もいるが、そんな事は気にかけずに、黙々と仕事をこなしてきた。少なくとも陰口を叩くような者よりも会社を儲けさせている。その行動の裏側を覗く者は少ない。
「この店だ……」
駅前から徒歩5分程度。繁華街の雑踏に背を向けて進む住宅街。その入り口とも言える場所に居酒屋はあった。『風旅人(かぜたびと)』の屋号は、木製の看板に草書体で、掘り刻まれていた。
看板の下、暖簾には『一歩』という文字が書かれている。多分、意味はあるのだろうが…。
店の中は、カウンター7席、4人掛けテーブル3の12席の個人経営の居酒屋では、ほぼ標準的な大きさの店だ。何よりも居酒屋特有の騒がしさがここにはない。少し前くらいに流行っていた『酒処』といった感じだ。
店内の照明は間接照明をふんだんに使いオレンジ色の光が暖かさを演出している。壁面は全て黒で統一され、2Lサイズ程度の大きさの写真が額に入れられて飾られている。居酒屋の内装というよりもバー的な内装といえば良いのだろうか。
「居酒屋っていっていたでしょ?」と、小声で哲也は高須に確認をとってみた。
「ん…マスターがそういうからさ…」
マスター。高須がマスターと呼ぶ男を見ると、そこには、すこしクールな感じのナイスガイがいた。年齢的に30代前半といったところだろうか。何処か覚めた感じの瞳をしている。
「いらっしゃいませ…」
静かに会釈をしながらマスターは言った。
「カウンターの端…いいかな?」
「ええ…どうぞ…」
マスターは、そう言いながらおしぼりをカウンター越しに端の席2箇所に置いた。
上着を脱ぐと何処からともなく現れた女性店員が受け取り、ハンガーにかけてくれる。あまり居酒屋ではされる事のないサービスがここにはあった。ついでだが、会話の邪魔にならない程度に掛かっている音楽はジャズだ。
「生ビールを2つ」
高須がそういうと「かしこまりました」と女性店員は頭を下げ下がった。ここは本当に居酒屋なのか?と、再度、疑問が涌いてくる。客層もそれなりに年齢が高い。雰囲気も高級感があるが値段はリーズナブルだ。生ビール一杯の値段が350円というはの妥当なのか?という疑問もついでにある。
「よく来るんですか?」
出されたおしぼりで手を拭きながら哲也は高須を見た。
「そうだな…チョコチョコかな…」と、寂しげな笑みを零しながら高須は応えた。
本来は、病院にいるだろう時間である事に哲也が気付いたのはこの瞬間だった。いいのだろうか?時間まで男と揶揄されながらも病院に通い続けてきたのに。息抜き?と勝手な答えを探しながら運ばれてきたジョッキーを受け取った。
「女房な…」
ジョッキーをカチンとぶつけながら高須は話しはじめた。
「余命宣告を受けたんだ……次に意識不明が起きたら…駄目らしい…」
「………」
「意識があるといっても既に俺を認知しているかどうかわからない程度なんだ…それでいて、もしも…そう思うと…」
「!先輩…何しているんですか」
「怖いんだ…治ると自分に言い聞かせてきた…」
「………」
「だから、怖いんだ……」と、高須の頬を伝い涙がテーブルに落ちた。
哲也が答えを探すように目線を高須から外すと、マスターは、女性店員に顎で下がるように指示をだしていた。店内にはそれなりに客がいる。その客の誰もに、高須の心の慟哭のような声は届いているだろう。重い想いがそこにあった。
泣き叫びたいほどに苦しいだろう。
喚き散らしたいほどに悲しいだろう。
でも、叫んでも暴れても、その想いから開放される事はないだろう。
「いなくなる事が怖いんじゃない…消えていくのが怖いんだ…」
「えっ?」
「俺の中で、思い出の一つ一つが消えて行きそうで怖い…アイツを想っていた俺がいなくなりそうなのが怖い……怖いんだよ…」
「…先輩…」
哲也にはどうする事もできない。ただ聞くだけだ。聞き続けることしかできない。答えなど何処にもない。少なくとも、返せる言葉はない。高須健吾のこの想いを軽くする言葉など持ち合わせていない。
つくづく自分という存在が薄ぺらに感じられる。
「人生とは旅のようですね…」
マスターは、ハンカチを高須に差し出しながら声をかけてきた。
「…ありがとう…」
「人と人との出会いは、人生という道が合流しているだけのことなのでしょ…二人で歩く時は少し太く、人が増えれば更に太くなり、分岐でまた細くなる…その繰り返しに似ていますよね…」
「マスター…」
哲也は、高須の気持ち汲んでマスターの言葉を遮ろうとした。が、マスターは何事もなかったように言葉を続けた。
「でも、決して歩いてきた道は消えません…形を変えようとも記憶とは違っていようとも、その道を辿ったから、今の道があるんです…その道を進んできたから、今の自分がいるのではないですか?」
「…そう……か、な」
高須は、ようやく顔を上げ、一気にビールを呑みほした。考えで解っていても、知識で解っていても、納得できない事がある。その矛盾の中に自分は存在している。
(小さいな……俺って人間は…)
高須は、ジョッキーを翳しお替りを求めた。
「よかったら、マスターも一杯どう?」
「…よろこんで……」
マスターが返事を返すと程なくしてジョッキーで生ビールがマスターの元に届けられた。
「それにしても、おっさんくさいこと言うね、俺よりも若いくせに…」
「年寄りかもしれませんよ……」
「ん?」
「俺は輪廻転生しているかもしれないから…」と、クスクス笑いながらマスターが言った。
輪廻転生。宗教的、精神的な考え方の一つで、確か肉体は滅んでも魂は滅びる事はなく、新しい肉体に魂が宿り生き直すというものだったはずだ。
人の趣味をとやかく言うつもりはないが、マスターは、そういう趣味なのだろう。世の中には、色々と趣味や嗜好がある。それは個人の考えの行き着いた先である。誰かがとやかく言う必要はない。
ただ、哲也は、自分では考えることのない単語に苦笑するだけだった。でも、何故「輪廻転生」なんだろう。この言葉に何を乗せているんだろうか。哲也は、真神を見詰めた。
真神は、哲也の視線に苦笑で応え、料理の手を進めた。