おむすび(14) 了  | 気紛れな心の声

気紛れな心の声

気がついたこと 不意に感じたこと とりあえず残してみようって^^…最近は小説化しているけれど、私の書き方が上手くなるように感想くださいね

東村は、予定外の展開に汗をかきながら話を続けた。シュンは、少し躊躇したような笑みを溢してから、「ええ…いいですよ」と、スタジオの端で事の成り行きを見ている美紗を指した。
「………」
「前回にゲストで来られた、勝山美紗さん、そして……」
あの日、披露宴の後に起きた事故、俊平は、救急車で搬送されたが車内で心停止が確認された。綺麗な死に顔だった。美紗は、俊平の側で泣いた。倒れこむ事も無く、その場に立ち尽くしたように、震え続けながら泣いていた。その横でシュンは、安西は、何もできずにいた。かける言葉が見付からないまま、一人、二人と病室を後にし、廊下で黙って座り込んだ。
どれほどの沈黙があったのだろうか。
安西は、美紗を背中側から強く抱きしめ、病室を後にした。
誰も何も言わないまま、時間だけが経過していく。病院のスタッフたちも、その状況に声を掛けることもできずにいた。さっきまで、元気にボランティアをしていた顔見知りが今はもう動かない。その遣る瀬無さに佇む事しかできなかった。
誰も俊平を霊安室に連れていこうとはしない。まるで、死という事実を否定するかのように。
会社のスタッフ達は、病室の外で美紗が出てくるのを待った。空が青さを取り戻すまで、美紗は泣き続けた。声を押し殺して。スカートの裾を握り締めて。
ようやく美紗が部屋から出てきた時、安西は、美紗を抱きしめた。
「あなたにはまだする事があるわ…」
押し殺すような声だった。本当はそんな事をしてほしくない。でも、今ならまだ間に合う。全てを夢へと、する事ができる。この場から、逃げ出し、全てを忘れて、自分の世界に行く事ができる。どれほど嘆き悲しんでいうようとも、それは時間が癒してくれるだろう。
「………」
美紗は、黙ったまま首を振った。
「まだ、間に合うから…」
「………」
美紗は、安西に抱かれたまま、静かにもう一度、首を振った。
「いまなら、まだ戸籍が汚れないのよ…」
「……でも」
でも、見送ってあげたい。誰に憚れる事無く。堂々と見送りたい。他に返せるものは無い。だから、見送りたい。
「判ったわ……ここの手続きをしておいて…」
「はい…」
安西にいわれて、俊平の会社のスタッフは、真っ赤な目で返事をした。

美紗がマンションに戻ったのは、昼過ぎだった。夢を見ているみたいだった。葬儀の準備に依頼、俊平の会社との相談。全てが夢であって欲しいと思った。もう、何もしたくない。全てから逃げ出したい。
「…あっ、美紗です」
『ん?どうした……休暇は楽しめているか?』
「あの…」
『ん?なんだ?』
「明後日まで休みをください…」
『…何かあったのか?』
「結婚して…」
『……そうか…ん?……まぁ、いいか…おめでとう…できちゃった婚か?』
「昨日の晩、事故で無くなりました…」
『………』
冗談にしては、声に張りがない。話しの展開にも何の脈絡もない。気丈に振舞う反面崩れると何処までも弱々しくなる事は知っているが、言動が情緒の不安定さを物語るのは初めてであった。誰もが、芸能界という世界以外の世界を持っている。幾つもの世界の中で自分を保ち続けながら生きている。そのバランスは、人それぞれだ。その『それぞれ差』を測れる程度に美紗との付き合いはあるつもりだった。ぎりぎり線一本で自分を保とうともがいている美紗がそこいる。
一瞬の沈黙が長く感じられた。
できるだけ平静を保てるようにマネージャーは深呼吸をした。
「あたしも死にたいよ…マネージャー」と、消え入りそうな声が受話器から聞こえる。
『…何処だ、すぐにいく』
美紗は、リビングの床に座り込み泣いた。マネージャーは、電話を切る事も無く、話かけながらいわれた住所に向かった。
「美紗さん?」
安西は、美紗から預った鍵で部屋に入り、リビングに座り込んでいる美紗に声を掛けた。美紗は、呆けているらしく、すぐに返事が返ってこない。
安西は、美紗に近付き、もう一度、声を掛けた。
「安西さん…」
「何をしているの?」
「えっ?」
「……泣いていても何も変わらないわ……」
安西は、掛けかけた優しい言葉を飲み込んで強い口調で尋ねた。遠慮したい役目が巡ってきたと諦めて…。「泣くだけなら逃げた方がいいわ」と続けた。言いながら涙がこみ上げてくる。気を緩めると、自分もその場にへたり込みそうだった。
「どうするの?…逃げるのなら……」
「逃げたいですね…でも……」
「でも…なのね……」
「……はい」
「御両親に電話は?」
「えっ?」
「俊平が独りだったといって…貴女は一人なの?」
「………」
「生きている人たちを安心させるのは、生き残った側の勤めでしょ…」
「…はい」
美紗は、弱々しく返事をすると立ち上がった。
安西は、ようやく頬を緩ませ、美紗の側に寄った。美紗の背側に立ち、美紗を包むように抱きしめた。その弱々しい力に美紗は、安西の悲しみの片鱗を感じた。温かい。
(俊平……)
「男どもは、泣いているだけ……何の役にも立たないわよ…」
「…えっ」
「葛西俊平の遺産を引き継ぐのは貴女だけなの…貴女は、会社にこれからも残るスタッフを守る義務があるわ…泣きたければ泣けばいい…でもね、それは独りの時だけ、一人で泣きたくなければ呼んで、できる限る時間を作るから…」
「安西さん…」
美紗は、安西に抱きしめられたまま、携帯電話を手にした。
何をどう話したのかは覚えていない。ただ、通夜の前に両親は駆けつけてくれた。
美紗は、気丈にも喪主を勤めあげた。葬儀を終え、美紗の新しい日々は幕を開けた。鬼のように忙しい日々の幕開けだった。
俊平の会社は、副社長を務めていた俊平の仲間が引き継ぎ、スタッフは全員が残り、再出発をした。一つ違うのは、美紗が代表取締役社主になった事だった。もっとも、美紗が社主である事を知るのは一部の役員だけだ。美紗は、見習いとして、会社に参加を始めた。初めて知る色々な思いを目の当たりにしながら、役者としての自分をも捨てなかった。
忙しさだけが寂しさを忘れさせてくれる。
自分に俊平ほどの存在感はまだ無いが、いつか、さすが葛西の妻と呼ばれるまでになってやる。その意気込みだけは忘れなかった。
……そして、今は亡き、あたしと旦那の親愛なる友人葛西俊平の物語…」
「えっ」
東村は、唖然として美紗を見詰めた。
スタッフが美紗に駆け寄り、何かを話している。


(エピローグ)
俊平が逝って一月が過ぎた。
「此処よ…」
舞台稽古を終えた美紗を安西は一つの部屋に案内した。そこは、美紗も一応は知っている場所だった。俊平の遺産の一つにあたる貸しビルの一室だった。家の中の整理に追われ、外の個人使用していた場所にまでは手が行っていなかったし、鍵が無かった。
安西は、美紗に鍵を渡した。
「あっ、怖い顔で睨まなくても、鍵を預っていたのはうちの旦那だから…」
「……ホント?」
「疑い深いし、嫉妬深くなってない?」
「そんな事は…」
「あたしの方が嫉妬しているかもしれないよ…」
「えっ?」
「入れば判るわよ…じゃあね」
安西は、美紗の背を押した。
美紗は、安西を気にしながら部屋の鍵を開けた。
そこはアトリエだった。カメラマンとしての。
(カメラマン…あっ)
部屋に入るとひとつのパネルが目に付いた。そこに映っているのは、数年前の自分だった。それも、日々がむしゃらにすごしていた時代、一杯の失敗と、一杯の文句と、一杯の愚痴を、未熟さを、棚に上げて語っていた何も怖いものの無い新時代の自分がいた。
「あの時の…」
美紗は、パネルの置くにある机の上に置かれているひとつの封筒を手にした。その封筒には『約束』と書かれてあった。その中には、あの頃の自分がいた。失敗して泣いていたり、怪我して泣きそうになっていたり、テレビカメラが写さなかった素の自分がいる。
「若いな…あたし…」
「まだ、充分若いわよ…こんないい女を抱かずに逝くなんて、罰当たりだね、アイツ…」
安西は、玄関のドアに凭れかかって言った。
「うん…」

その夜、美紗は、初めて結婚式のビデオを見た。
<了>