おむすび(4) | 気紛れな心の声

気紛れな心の声

気がついたこと 不意に感じたこと とりあえず残してみようって^^…最近は小説化しているけれど、私の書き方が上手くなるように感想くださいね

「風呂、溜まっているぜ……少し熱い目にしておいたから、たぶん、ちょうどいい感じ……のはずだけど」
俊平は、言いながら、手元もリモコンでライトの光量を落としてくれた。それは、私に対する気遣いだろう。全くといっていいほど顔を見ない。
少し緊張したような感じで天井の方を見詰めている。
「一緒に入る?」
少し勇気を出して言ってみた。考えれば、恋人と風呂に入った事など無い。何処か気恥ずかしくて、そんな勇気がもてなかった。カメラの前なら、覚悟を決めて水着姿は披露できたのに、プライベートになると……。
それは、意地悪な問いかけだったらしい。俊平は、戸惑ったように考えながら間を置き、深く息を吐くと笑みを零しながら言った。「やめとけ…襲われるぞ……」と。襲う気も無いのに。
「…そうね……」
(即答か…)
美紗は、俊平の胸を押すようにして立ち上がると俊平に背を向けた。もう少し温もりを感じていたかった。その気持ちに捕らわれ、離れられなくなるのが不意に怖くなった。
男を信用しても裏切られる。そういう思いが何処かにあったのかもしれない。少なくとも最低の男を好きになった。最低な振られ方をした。死にたいと思うくらい、情けない振られ方だと思う。もし、神様がいるなら、アイツに出会う前に時間を戻してほしい。
アイツと知り合わなかった人生を送りたい。
憎しみと悲しみと虚しさが共存している。
(ごめん……なんか卑怯だな…あたし…)
美紗は、振り返り抱きつきたい衝動に駆られたが、その思いを飲み込んでバスルームに向かった。はずだった。せっかくだからお風呂に入らせてもらおう。身体も気持ちをもすっきりするだろう。と、自分に言い聞かせ。が、……何処だろう?
「キッチンの奥だよ…タオルは、クローゼットに入っているから…出るときは、湯は抜いていいよ…」
「…あ、ありがとう…」
やっぱり、俊平の蚊を見る事ができない。
美紗がキッチンの脇からバスルーム、脱衣場に入りスライドドアを閉じると俊平は、欠伸をしながら、ベットルームのクローゼットから黒いTシャツと新品のトランクス、ジャージの上下を用意し、風呂に入った頃を見計らって、脱衣場のドアの前において部屋から出た。
スーッ、ハーッ。美紗は、何度か深呼吸を繰り返すと、来ていた服を脱いだ。少し肌寒い。と、覚悟をしていたが、ヒーターがかけられていた。
(ふぅ~ん)
美紗は、脱衣場にあるものを見渡した。大きな三面鏡、その後ろ側が収納ボックスになっていて、新品のタオル、歯ブラシ、歯磨き粉などのその周辺で使うものが整頓されて入れられている。タオルは、趣味?と聞きたくなるような日本全国の旅館タオルが袋のまま入れられている。歯ブラシもよく見るとホテルの名前がしっかりと書かれている。旅先では、アメニティをしっかりと持って帰るタイプらしい。
三面鏡の横にある洗濯機は、最新型の乾燥機一体型だ。一人暮らしで少量の洗濯ならお風呂に入る時に回せば、寝る前には乾燥しているだろうという代物だ。とはいえ、他人の家の道具を活用して、乾くまでいなかったら…とは、思ったが、どうせこのまま何事も無く帰れるわけが無い。美紗は、洗濯機に下着類とシャツを入れて、洗濯機のスイッチを入れた。
世話になった代償は、身体くらいしかないだろう。優しいとはいえ、所詮男。どうせ襲われるのは目に見えている。酒臭い奴を襲うよりは、と言う事で風呂を用意したに違いない。
(あっ…)
バスルームのドアを開けると中から香りが解き放たれた。ハーブ系の甘い香りが漂う。バスタブの乳白色の湯には、赤や青、ピンクや黄の花びらを模ったモノが浮いている。
(柔らかい香り…優しいんだ…って何時の間に…)
美紗は、シャワーで身体を流すと、ゆっくりとバスタブに浸かっていった。
暖かい。芯まで冷え切った身体が解きほぐされていくような気がする。
ふーっ。
「気持ちいい」

ふーっ。
(よく我慢できたものだ…)
俊平は、まだ、手に残る美紗の胸の感触を思い返しながら溜息をついた。予定したわけではないが、抱きしめた時、左手の内側にそれはあった。柔らかな感触が。手をどけるのも意識しているみたいに思えたので知らない顔をしてそのまま抱きしめた。
柔らかな鼓動が、自分の理性の殻をノックする。力強く。きっと、理性という殻にはひびが入っているだろう。もう少し、強くノックされたら、いや、風呂に誘われた瞬間、理性の殻の幾つかは剥がれ落ちたはずである。
もう一言あれば、御一緒したかもしれない。
とはいえ、本能の赴くまま行動するほど子供ではない。一応。
街を吹き抜ける風が、火照った身体を覚ましてくれる。
俊平は、よく行く寿司屋『遊然(ゆうぜん)』に入った。大将が、チラッと見てニヤッと笑みを零しながら迎え入れてくれる。遊然は、駅の寂れた通りにある。賑わう繁華街側ではなく、少し寂しさの残る側に。大将に言わせると、こっちの方が安いからという理由だが、たぶん「寿司屋の敷居は高いもの」と言っていた方に理由があると勝手に解釈している。
黒塗りのカウンター。軽快なジャズが流れる店内は、絶妙な光加減で調和が保たれている。他の人はどうか知らないが、俊平は、この店の雰囲気が好きだった。
「いらっしゃい…」
大将は、手でいつもの席を示してくれた。それに応じるようにカウンターの奥から二番目の席に座る。一番奥を空けるのは、習慣だった。誰かと待ち合わせてしているわけではないが、その席を一つ空ける。袖触れ合うのも何かの縁。そんな出会いがここであってから、そうする様になっていた。
「遅いじゃん…」
「あっ、もう閉店の時間かな?」
「いや…これから、これから……」
大将は、そういうと屈託のない笑顔でおしぼりを渡してくれた。この大将、人の好き嫌いが結構激しい。俊平の知る限りでは、おしぼりを直接渡してもらえるのは数人だ。あとはバイトの子が行っている。
「焼酎…十四代を…」
バイトの女の子が注文を取りに来たのに気付き俊平は、壁に掛かれた「本日のお酒」の中からいつも頼むモノを頼む。二杯目から、任せると適当に出してくれる。時々メニューに無いものが出るところが、また乙であった。
「お湯割ですか?水割りですか?ロックですか?」と初めてのバイトの子は聞くのだが、何度か顔をあわせているバイトの子は何もいわずに下がってくれる。初顔でも大将が注文と同時に「何も聞かなくていい」と言わんばかりに首を振ってくれる事もある。
この店が開店したのは、5年程前。俊平が、今の会社を始めた頃だった。順風満帆、とまではいかないが、比較的時代という波に押され、多少の苦労だけで経営は軌道に乗った。別に本業にするつもりはなかったが、いつの間にか株式会社。中古物件とはいえ、4階建てのオフィスビルを持ち、客のある程度の我侭な注文に添えられる程度の自力を持つ程度には発展し、少しは自分の時間を持てるようになった頃、この店に来た。
自分の褒美の一つとして。
考えてみれば貧乏カメラマン。食いはぐれなく生活していたのが懐かしい思い出だ。
初めて、この店の前に立った時、ドアを開ける勇気がもてなかった。
敷居が高い。それが、寿司屋におけるステータスだろう。と「いつか」を夢見て過ごしてきた。くるくる回る回転寿司を喜んでいた世代から、少量で満足のいく物を食べたくなる世代になった所為かもしれないが、何の抵抗もなく入る事ができた。
最初に店に入ったのは、ようやく一息を付くように取った休みの前日だった。偶々、早く終わった仕事。一人フラフラとこの店に来た。仲間達と一杯呑んでからだったおかげか、素直にドアを開け、席につく事ができた。
小洒落た雰囲気の店は、寿司と看板が上がっていないとバーに間違えられるかもしれない。現に、外国人が入ってきて、困ってそそくさと帰っていく。中々、悠然と構える店主だと思ったものだが、外国人が来る事は予想の範疇ではなかったらしい。外国人が店をでた瞬間、ハーッ、と深い溜息をついたのは印象的だった。全くといいほどに、英語が話せなかったらしい。
それが、今では、店内にビジネスマン然とした外人が、溢れ、優雅にすしを食べるまでになっている。それも日本人よりも行儀が良い。見事なまでの「じゃぱにーずいんぐりっしゅ」。それが評判で外国人客は後を絶たないらしい。
「で、注文は?」
「お勧めは?」
「全部!かな?」
「ほう……俺が食べられる程度のお勧めは?」
「人の腹ぐらいまではわかりませんな」
と、腕を組み、斜に構えて胸を張って見せる。ポパイというアニメに出てくるブルートといった感じだ。
「マグロが食べたい…」
「素直にそう言ってくれればいいのに…盛り合わせようか?」
「ああ…お願いするよ…」
ロックグラスに琥珀色の焼酎が運ばれてくる。確か、古酒という分類の酒だったと思う。他にも秘酒と普通のが、ある。が、ここでは、ウイスキーの味に近いこの焼酎を出してくれる。その焼酎を一口飲むと「ほい、おまち…」とカウンター越しに細長い土物の皿でマグロの造りが突き出されるようにして渡された。
「早いな…」
「早い上手い安いがモットウです」と、頭を深々と下げる。
俊平は、苦笑しながら、「モットウに反するのは気分ですか?」と返してみた。
「もちろん!人間ですから」と、きっぱり言う。その反応が実に心地良い。カウンターに人が少なくないと聞けない軽口は常連の楽しみでもある。
「おっと…電話だ……戻ってくるから、下げないように」
俊平は、そう言うと店から出た。