心と本心(5) | 光のエレベーター

光のエレベーター

光のエレベーターに乗ってみませんか。
光にそっと乗るだけであとは輝きながら
昇ってゆくだけ・・・大丈夫!
五井先生、ありがとうございます。

         (前日からの続き)
 生きるということにしたって死ぬという
ことにしたって時があってね。我々のこの
肉体人間の情から言えばとてもやりきれない
いろんな出来事だって、それはやはり選びの
時なんですね。向こう側からすれば選びの時
なんです。そうして皆のことを考えてる。
 そういう時が与えられる時はね。だから、
ああこれは神様が与えて下すったものなんだ
なと考えることですねえ。それを目指して、
世界平和の祈りというものがあり、皆さんの
統一というものがあり、印というものがある。
 皆離れてるもんじゃないんですよ。


 あなた方の祈り心が深くなって、自分を
深く省みて、自分の中に、そうだ神様からの
宝物を私たちはいただいているんだなと、
そう思える心になった時に、そう思える心が
一瞬間きたら、これはもう大変なことですね。
 で、それをずっと続けていって下されば、
それはもう大変なことですよ。それを
できないと思っているのが人間ですよ。
 できると思っているのが神様です。


 宗教というのは、そのできると思ってる
神様の大きな愛念に、我々全部を預けて
しまうことですね。生命もすべてね。
 投げ出すというのは大変なことだけど、
やってしまえば簡単なんですよ。なかなか
情としては大変だけどね。やってしまえばと
言ったって、できないですよ先生とくるかも
わからないけれども、あなた方、祈ってる
時は投げ出してるんだよ。自分たちは分から
ないけれどね。世界平和の祈りを祈ってる
時は、いろんな雑念があろうと何して
いようと、やっぱり投げ出してるんです。
 だから、あなた方は毎日毎日投げ出して、
自分をカラッポにする修行をやっぱり
やってるんですよ。気がつかない内にさせて
いただいてるんです。


 だから、任せるということは朗らかになる
ことですよ。神様と一つ生命になるという
ことですよ。あるいは、神様の愛が私たちの
中に流れているということを知ることです。
 そのために祈りがある。そのために生きる。
 そのために悩むんです。すべて無駄な事は
ないんです。皆必要なんですね。決まってる
事なんです。必定なんです。だけども、神様と
いうのは宿命じゃない。宿命論者じゃないし
運命論者じゃない。だから、運命修正という
ものができるでしょ。皆さんの祈りによって
できるでしょう。あるいは、皆さんの愛念に
よって動いていくんですよ。そこに世の中の
人々が言う奇跡というものも生まれて
来るんです。だから、もうこれは神様事
だから神様に任せなければ仕方がないと
いって投げ出してね。投げ出してというのは、
放り投げて努力もしない、ねえ、もうとても
私たちの力では及びませんといって投げて
しまっちゃあ、こりゃあ駄目なんです。
 やっぱり祈る。祈って祈って祈って
祈りきったところに光が出てくる。


 その時に、例えば生き死にの問題で
言えばね、つまり、一人の人に、生命を
向こうにもっていかれるか、まだこっちに
いて皆さんの役に立つか、どちらになるか
分からないけれど、祈って光がパーッと
来て、そうして、そうかそれじゃあといって
向こうで変更になるかもわからない。その辺
わからないんです。ただ分かってる事は、
どんなふうな現われ方をしても、神様という
ものは絶対に私たち一人一人を愛していると
いうこと。憎んだりは絶対しない。恨んだり
も絶対しない。何故なら、みんな神様の子ども
なんだから。ね、子どもを愛さない親はいない
でしょう。そうでしょう。絶対みんな子どもは
可愛いいですよ。その何十倍何千倍、神様
というものは一人一人を愛している。今の
あなた方のありのままを愛しているし、
あなた方の中に貫いて流れている深い生命
というものも愛してるし、あなた方全体の、
もう全部を愛してる。それを引き出して用い
ようとなすってらっしゃる。だから、遠慮
しちゃあいけないんです。
              (翌日に続く)