心と本心(4) | 光のエレベーター

光のエレベーター

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光にそっと乗るだけであとは輝きながら
昇ってゆくだけ・・・大丈夫!
五井先生、ありがとうございます。

        (前日からの続き)      
 もう何十回も言ったことだけども、我々の
心の奥底ずっと降りていくと、やっぱり本心
というものがある。そして、先程申しました
けどね、毎日毎日の生活の中でいろいろな座
がある。その座に座らせていただいている。
 喜びごとがある時には喜びの座に
座ってるんです。悲しみのときには悲しみの
座に座ってるんです。あるいは、孤独の座
にも座るんです。そうして、そういう
ところへ座らせていただきながら、私たちは、
神様の大きな愛の座、本心の座、光の座、
神様の座に招かれて、そこへ進んでゆく
訳ですね。それは何も向こうへ行って修行
しなくったって、毎日毎日がそうなんですよ。
 この世と向こうは続いているんだからね。
 この常住坐臥の毎日毎瞬が、あなた方が
意識しようとしまいとね、その座が進んで
ゆくかどうか、転落するかしないか、毎日
毎日の想いが修行の場なんです。霊界だって
想いでみんなつくられているでしょ。だから、
物欲の強い人が向こうへ行ったら、そりゃあ
もう物欲かたまりの世界ができますよね。
 無欲の人が行ったら、何だか小鳥が啼いて
というような清浄な空気のところを歩くと。
 みんなイメージなんです。イメージだ
けれども、じゃあ霊界がないかというとそう
じゃない。真実の生命につらなっていく。
 そういうものというのは確固としてある。
 だから、その本心というものをたずねて
祈ってね、できる限りの消えてゆく姿を
やって、その座が進んでいくように、
そうして、進むも進まないも、もうひとつ
いけば、神様に任せます、いいように
なすって下さいというふうに言えるように
もっていくのが信仰ですねえ。


 そして、それを助けるのが五井先生ですね。
 世界平和の祈りですね。決してあなた方
だけの力で絶対そんなことはできませんよ。
 だけど、あなた方の祈り心が一人になり
二人になり十人になり三十人にとやって
いけば、それはもう光明波動なんですからね、
人間というのは光なんですから、そりゃあ
すごい力を発揮するんです。目には見えない
けれども、その光がサーッと全世界に
うずまいて、全宇宙に広がってね、そうして、
光明があたりを浄めていくんですね。その
ことを忘れたらいけません。そのことを
忘れて祈りをしたら、これはただ単なる
ご利益の祈りになっちゃう。そうじゃ
ないんですよ。南無阿弥陀仏にしても南無妙
法蓮華経にしても、世界平和の祈りにしても
主の祈りにしたって、本当の真実の祈りの
奥底にあるものは、何か、こうして下さい、
ああして下さい、運がよくなりますように、
そりゃあ大事ですよ、みんな生き生きと
いかなきゃいけないんだから、やっぱり
そういうものはなきゃ困る。でも本当に
目指すものは何かというと、神様と一体に
なる我々は生命なんだという、その喜びに
至る。そこが大事なんです。それを忘れた
祈りはないんです。


 神様というものが我々のためにいて
下すってね、神様というものから我々は
分かれてきた分生命、分霊で、そうして、
我々が我々の分に応じて、あるいはそれ
以上の働きを、神様の力によって愛念
によってさせていただくんだということね。
 本心と心というものは分かれてるものじゃ
ないんですよ。本心からずっと光明が
出ましてね、我々の肉体も想いも、想いを
出してる心も浄めていくんです。祈りが
それを浄めていくんですよ。だから、
世界平和の祈りの中に、あるいは、南無阿弥
陀仏の中に、いろんな祈りの中に溶け込んで、
そうして最後には、自分自身が役に立つも
立たないも、とにかく神様の光になって無に
なって動いていく時に、この世の中という
のは光明波動になっていく訳ですね。だから、
役に立たない生命なんていうのはこの
世の中に一つもないんです。無駄という
ものも一つもないんです。
             (翌日に続く)