来るべくしてここに来た 〜自分の計画を知る〜 | Fabulous Days

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☆〜(ゝ。∂)

今日、自分の壮大な計画を知ることとなりました。

 

不思議な流れです。

 

表面上は「父のわがまま」でしたが、

 

私は来るべくしてここに来たのたど

 

納得させられました。

 

日本は津々浦々戦さ場になったところ

 

ばかりだと思います。

 

戦さ場にならなかったところなど

 

あるのでしょうか・・・。

 

戦さ場になったところには

 

癒されることのない魂が彷徨い続けます。

 

私はその御霊を癒すべく、空の上から

 

市川と船橋の地を選んだと思われます。

 

私の出身は東京です。

 

そこから市川に移り住みました。

 

市川の八幡という地に20年ほど住みました。

 

その間、驚くほどの距離を自転車で

 

走って回りました。

 

時には3つ向こうの駅の方までも。

 

ものすごい広範囲です。

 

自分が歩いた道には自分のエネルギーが

 

つく(マーキングの意味がある)と言われます。

 

私は無意識のうちに自分の光を落として

 

歩いていたのだと思います。

 

慰霊のための行脚とでも申しましようか。

 

でなければあれほど広範囲に自分のエネルギーを

 

落として歩いた理由がつきません。。。

 

それから馬込沢の地に来て10年を超えました。

 

こちらに来てからも広範囲に自転車を走らせています。

 

そして今日、市川と船橋の地が戊辰戦争の戦地で

 

あったことを知りました。

 

思えばどちらも重たい氣を感じる土地でした。

 

そしてどちらも、私が暮らすうち開発が進み

 

明るくなっていきました。

 

私は開発のネガティブな面しか見ていませんでしたが、

 

地が掘り起こされ新風が吹くことは必ずしも悪いこと

 

ばかりではなかったんだなぁと思います。

 

この地も初めて訪れた時は大変寂れていました。

 

店はどんどん閉まっていくし、開いている店も

 

ボロボロ・・・

 

空き家もあちこちにあったし、まるでゴーストタウンのように

 

覇氣のない、氣味の悪い感じのする街でした。

 

この家も霊道になっていて、下見に来た時はそれまで

 

霊感などまったく感じたことのない私でさえとてつもなく

 

嫌な感じがしました。

 

それでも半ば強引にここに住むことになったのは、

 

霊たちが呼んだのだと思うようになりました。

 

霊能者さんのおかげでここは霊道ではなくなりました。

 

そして私も、自己カウンセリングのおかげで徐々に光を

 

取り戻し照らせるようになりました。

 

今年の初めには霊能者さんにより再度の除霊をして頂き、

 

障害が取り除かれ、ますます光ることができるようになり

 

ました。

 

それと同時に街も活氣付いてきたのです。

 

昭和の作りだった各所スーパーはどんどん綺麗に

 

オシャレに様変わりしていくし、寂れていた駅前には

 

綺麗な病院ビルができたり、下水道が汲み取り式から

 

水洗式になったり、廃屋は新しい家になったり、街が

 

どんどん輝いてきていてびっくりしています。

 

また、この地は土地の高低差がかなりあり、低いところは

 

度々ひどい水害に見舞われていたそうですが、それも

 

急激に少なくなっています。そもそもまとまった雨自体が

 

あまり降らなくなっています。

 

雨もまた浄化のために降っていたのですね。

 

水害があったあたりは馬込沢という地です。

 

以前住んでいた八幡という地も、馬込沢という地も、

 

戊辰戦争の戦場であったことを今日知りました。

 

しかも八幡は岡山藩の陣地だったといい、その岡山藩の

 

家臣の中に奥田氏がいたということも、岡山藩の家紋が

 

備前蝶だということも今日知り驚きました。

 

なぜ驚いたかというと、うちの家紋も備前蝶だからです!

 

(ちなみに私の姓は奥田です)

 

それで「ああ、来るべくしてきたんだ!」と悟った次第です。

 

馬込台で戦争があったと知った時、胸が詰まるような思い

 

がしました。そして「氣づいてくれてありがとう」という

 

思いを感じました。

 

私の魂は、この地にとどまる浮かばれない御霊たちを

 

いやしたかったのだ・・・。

 

それを知ったら「父のわがままでこの地に来た!」と怒れなく

 

なりました・笑

 

浮かばれない魂がいることを感じ取って供養するだけが

 

癒しではないのだと思うのです。

 

その地に残る御霊の存在を感じ取ることが(でき)なくても、

 

その地で笑顔で生きることが癒しになるのだと思うのです。

 

私が自転車であちこち周遊していた時、いつもとても楽しい

 

氣持ちでした。その思いはきっと浮かばれずに漂っていた

 

御霊たちに届いていたことでしょう。そして一緒になって

 

楽しい氣持ちになってくれたことでしょう。

 

私と一緒に楽しんでいたことでしょう。

 

それこそが最大の癒しになるのだと思います。

 

私は自転車に乗ることが大好きです。

 

車では味わえない緩やかな時間があります。

 

緩やかに楽しく街を走り抜けることで、リラックス

 

でき、無意識に光を振りまいていたのだと思います。

 

浮かばれなかった魂も、誰かと一緒に改めて楽しい思いを

 

することができます。

 

私と一緒に楽しんでくださっていたなら嬉しいです♡

 

きっとそうだと信じます。

 

 

全国を飛び回ってその土地土地を癒して回っている方も

 

います。私はそういう方を尊敬するとともにジェラシーも

 

ありました。土地から離れられない自分はダメな人だと

 

思っていたこともありました。

 

でも私は狭い範囲を濃く回り癒していました。

 

広い範囲をチョンチョンと癒す方もいる。狭い範囲に

 

止まってそこを深く癒していく人もいる。

 

ただそれだけのことだったのだ、と今は思えます。

 

今日、諸々の計画を知りそう思えるようになりました。