さ
こんにちは。
私は、心屋認定カウンセラー、
フラワーエッセンス花療法士、
《 姫之 真由美 》と申します。
はじめましての方もいらっしゃると思いますので、ここで改めまして、自己紹介をさせていただきますね。
私は神奈川県の横浜市で生まれ育ちました。
家族は両親と姉の4人家族でした。
生まれてから働き始めるまで親の言う通りの人生を歩んできました。
親の決めた学校へ通い、親が決めた銀行員となり、実家から毎日13年近く通勤していました。
アルバイトもほとんどした事がなく、高校を卒業して直ぐに始まった社会人生活は、私にはとても厳しいものでした。
そこで初めて経験するいじめ、四面楚歌。
毎日、辛くて悔しくて泣きました。
帰りの電車の中でも悔しくて悔しくて、涙をこらえることが出来ませんでした。
でも持ち前の根性と気合いで乗り超えて行きます。
そこには家庭の厳しい両親との関係がありました。今で言うDVです。
辞めたくても父の反対に合い辞められない。
3年が過ぎる頃、やっと仕事にも慣れていきますが、それでも毎日の仕事の多さと人間関係に悩みます。
世の中はリストラ、リストラと言われている時代です。
人員もどんどん削減されて仕事が増えていきますが、残業はNGです。
入行当初ストレスで8キロ増しの体重が、この頃になると一気に20キロ以上減りました。
激ヤセです。痩せ過ぎて顔つきも、なんだか変わってしまいました。
この頃から色々な病気のオンパレードです。
本当にあげたらきりがないくらいの病気をしました。入退院も繰り返しました。
異常な責任感からか、動かない体を無理やり起こして、それでも毎日通勤しました。
極め付けは28歳の時、目が見えなくなり難病を告げられます。
なんで?なんで私が?
私、毎日マジメに頑張って生きてきたよ。
清く、正しく、美しくって、頑張ったよ。
親の言う通りに生きてきたよ。
学校の先生の言う通りに生きてきたよ。
会社の先輩達のいじめにも耐えてきたよ。
神様、なんで私に意地悪するの?
毎日泣きました。
「もう、死にたい。」鬱の発症です。
だけど、ここでもまた持ち前の根性と気合いで鬱と難病も乗り越えます。
この当時、とてもお世話になった眼科の医師と、勤めていた銀行の支店長に支えて頂き、視力も完全にではありませんがほぼ回復しました。
そうして私は、この難病を切っ掛けに、自分の人生について考え始めることになります。
《私、幸せになりたい》
心からそう願いました。
でも、自分にとって幸せって何だろう?
あの激しい両親の元に生まれて、私はいつでもどこに居ても孤独を感じていました。
自分の人生を掛けてやりたかった事も諦めて、親の言う通りに生きてきて、私には全く向いていない銀行員になりました。
無理に無理を重ねてきた結果、難病になった。
もう一生治らない。
だから治すのは諦めて、抗うのではなく、この病と一生上手く付き合っていく覚悟を決めたのです。
そして、難病の私は結婚なんて望めないけど、人生のパートナーを見つけたい。
DVの家庭で育った私だけど、
鬱と難病を患ってるけど、
こんなどうしょうもない私だけど、
幸せになってもいいよね?
私だって生まれてきたからには幸せになる権利があるよね?
そうして現在の旦那様にめぐり合い結婚。
毎日が本当に穏やかで、私の人生が始まって以来の穏やかさで、幸せな毎日が続きました。
子どもたちも生まれて、本当に心から幸せを感じていたはずでしたが、この頃から霊的な事で悩まされます。
毎晩、毎晩、亡くなられた方が私のところに来ては、メッセージを送ってくるようになり、毎晩怯えて眠れなくなっていきました。
《つづく》