聖徳太子のお父さんをお祀りした、鵲森宮。 | 神さまと、二人三脚。

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大好きな神さま方と 私たち人間との絆を もっともっと深めたくて、
つたないブログを書いています。

先週末は、大阪市営地下鉄 あるいは JR環状線の森ノ宮駅を出てすぐのところにあります、

 

鵲森宮(かささぎもりのみや)

 

通称 森之宮神社へ参拝してきましたウインク

 

 

こちらの神社は、聖徳太子がお建てになった唯一の神社

として知られています。

 

お祀りされている神さまは、

聖徳太子の父親である、用明天皇です。

 

 

 

いつもニコニコとした、優しい雰囲気の神さまです。

 

 

 

あのなあ。

 

楽しむんが 一番やぞ。

 

もし、お前が 『誰かのために』 って やってみた結果、

それが 残念ながら その誰かのためには ならんかったとしても、

お前自身が それを楽しめたんやったら、大成功なんや。

 

誰かのためになるのが大事なんやなくて、

自分が誰かの役に立ったら、お前自身が嬉しいやろ?

 

それが、何より大事なんや。

 

だから、苦行のように 人に尽くすことより、

自分が楽しみながら人の役に立つことの方が、

ずっと すごいことなんや。

 

その優先順位を間違えんとってな。

 

 

今回は、そんな感じのことを おっしゃっていました照れ

 

 

 

 

そして今回は、ほとんど写真を撮れなかったので、

写真は前回参拝したときに撮ったものですあせる

 

 

 

 

 

拝殿。

 

 

どうして写真を撮れなかったか?と言いますと、

 

ご朱印をいただいた後、宮司さんが出て来て下さって、

こちらの神社の由緒やら何やらを、

一緒に神社を回りながら、ものすごく丁寧に、

そして熱心に解説してくださったのです。

 

そのお話自体が、ものすごく面白かったこともありますし、

お話の途中で写真を撮るのも失礼ですしね。

 

 

 

大阪には、聖徳太子が建立した

四天王寺という、ものすごく有名なお寺がありますが、

 

この四天王寺は、もともと 森之宮神社のすぐ隣に建ってたのを、現在の場所に移動した・・・とか。

 

 

もともと こちらの神社が立っていた場所には、

物部守屋(もののべの もりや)の屋敷があって、

 

蘇我氏が物部氏を滅ぼした後、

その物部守屋の屋敷の敷地が空いたので、

そこに神社を建てた・・・とか。

 

 

そのため、こちらの神社では、

物部守屋の御霊も お祀りしている・・・とか。

 

 

 

 

 

 

 

お稲荷さんなのですが、

こちらの社で 物部守屋の御霊をお祀りしている、

とのことでした。

 

 

この写真は、当日に撮影できた、

数少ない写真のうちの一枚ですウインク

 

 

 

 

あと、森之宮神社のすぐ近くに、

難波宮(なにわのみや)跡という、古い時代の宮の跡がありまして、

 

ここに歌人として有名な、

大伴家持(おおとものやかもち)が 2年間ほど、

お勤めになっていたのだそうです。

 

 

当時、森之宮神社にかかっていた橋が、かささぎ橋という名前で、

その下に流れていた川が、天の川

 

 

その かささぎ橋と天の川からの連想で、

 

あの百人一首で有名な、

 

かささぎの 渡せる橋に おく霜の
   白きを見れば 夜ぞ更けにける

 

 

の歌は、この場所で誕生したのではないか?

 

とのことでした。

 

 

(いえ、宮司さんは、「そうなのだ。」と断言していらっしゃいましたがあせる

 

 

貴重な お話を聞かせて下さり、本当にありがたいことでした照れ

 

 

 

 

 

拝殿のすぐ横にある、大伴家持の歌碑。

 

 

 

 

宮司さんの熱い想いが、こんなところにも!!

 

 

 

 

鵲森宮のご朱印。

 

 

 

 

【追記】

あと 先日、読者管理のところを誤って触ってしまい、

読者登録をして下さっていた方の登録を削除してしまいましたガーンあせる

 

 

本当に申し訳ありません>_<

 

 

て言うか、この失敗をするの、3度目ですえーん

 

 

 

日々、うっかりミスの大量生産をしながら 生きております。

 

 

また、これに懲りずに登録をして下さったら…

本当に嬉しいです。

 

 

ごめんなさいですm(_  _)m‍