皆さん、お久しぶりです、聖之丞です。

昨年の八月以降、ブログを書くという気持ちが全く湧かず。

半年も間が空いてしまいました。

この半年の間でたくさんのことがありましたので、それは割愛させていただきます。



今回は元職場の後輩が舞台に立ちましたので、観劇にいってきました。







オーディション合格の連絡がきたときは、本当に嬉しく思いました。

私自身も、過去に舞台に立とうと、日々演技レッスンを受けていたあの頃を思い出しました。

劇団の養成所に通いながら、いつか大きな舞台に立つんだと夢を見たものです。



私のことはさておき、今回の舞台の話ですが、今回の作品はwキャストで、華班と夢班で私は夢班の舞台を見ました。

巌流島ということで、宮本武蔵と佐々木小次郎ですね!

今回のお話は、宮本武蔵と佐々木小次郎の因縁の始まりまでを描いた作品でした。

作品のテンポがよく、時間の経過がとても早く感じました。

戦や武蔵、小次郎の心理描写をダンスで表現していたり、難しい言葉よりも今の言葉に置き換えて分かりやすい表現方法を使ったり、コメディ要素も含めたエンターテイメントな舞台でした。

女性が男性役ということもあり、殺陣シーンは涼やかな流れかなという印象でした。

殺陣、難しいんですよね、流れを覚えてもスピードつけると相手と合わなくなっちゃったりね。

私も時代劇、現代劇の殺陣はやっていたので、頑張れ~って応援してました。



内容はあらすじくらいでご紹介って感じにしました。

まだ上演中ですので、ネタバレは控えて。



こうして人の夢を応援してあげられるのって、すごく嬉しいですね。

自分も舞台に立ちたくなって来ちゃいますねw

舞台見るときの悪い癖が、自分だったらこうしただろうなって考えてしまうことなんですよね。

今回の舞台でも、自分がこの役だったらっていうのが頭の片隅でメモをはじめてしまってw

舞台自体ももちろんちゃんと楽しんだんですよ。




しかし、後輩の舞台見に行くのはこれで3回目。

私の周り、舞台立ったり、バンドしてたり、すごいな、エンタメメンバーだらけww

職場の上司がギタリストだったり、後輩が役者の卵だったりとか、そういう出会いがたくさんあって嬉しいね!

これからも夢を応援していきたいと思います!



ここまで読んでくださりありがとうございます。



聖之丞


皆さんこんにちは、聖之丞です。
ブログを書くということをすっかりと忘れてしまっていました。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
コロナもたくさんの変異株に振り回されて、新しい病気も出てきて、世の中はどんどん暗いニュースで埋め尽くされていくなかではありますが、今年に入ってからとても忙しく、目まぐるしい時間が経過して、気がつけばもう目前に母の命日が。



年明け早々に妹がショートステイ先で開放骨折して、明け方五時に施設から電話がかかってきて、病院へ。
運ばれた先の病院では治療が困難ということで、妹がかかりつけの整形外科のある病院に移送。
車であとを追いかけ、各方面へ連絡を入れて、意思の説明を待ちました。
左前腕開放骨折、左肘脱臼骨折で、開放骨折のため、感染症にかかる恐れがあり、時間との勝負と言われ、緊急手術。
壊死した部分を切り、洗浄するだけの予定でしたが、プレート除菌が間に合ったということで、そのまま骨折の手術も行われました。
そしてそのまま入院。
コロナの影響で面会はできないということで、必要なものを受け渡すときだけ、特別に顔を見ることは許されましたが、25日間の入院を経て、自宅療養。
二月から通所先と連携をとりながら通所を開始し、二週間ごとにレントゲン撮影、傷の経過観察のために通院。
その他に神経科や眼科にもいかなければならず、病院ばかり。
二月の終わりにギプスは外れたものの、骨折した骨はくっついておらず、経過観察は続く。
三月はまさかのコロナで妹の通所施設が閉鎖。
二週間自宅待機。
三月までで担当してくれていた医師が異動で担当医が変更になり、まぁ、それについては、もともと定期検診の時の医師に変更になったのでよかったんですが。
四月になって、超音波治療についての説明を受け、五月から自宅での超音波治療が始まりました。
しかし、骨は相変わらずくっくことなく、六月、七月が過ぎていきました。
医師の話だと、腕への負荷を本来担うはずの骨がくっついていないため、プレートが担っているという。
そして、負荷に耐えきれず、プレートが破損することがあると言われ、その最は骨盤辺りの骨を切り出して腕の骨折箇所へ移植手術を行わなければならないとのこと。
いまだに骨折箇所が治る気配はなく・・・
あと一年は様子を見る必要があるとまで言われ、途方にくれています。


怪我から7ヶ月。
ショートステイも使わずに、共に過ごす日々、妹の神経科の医師には、怪我はあるものだと思って、ちゃんと相談してショートステイ利用を始めた方がいいと言われ、ここまで一人で見てきて、時おり姉に預けたりもしつつ、それでも私の方が限界に近いことは明白で。
相談してみようと思った矢先、ショートステイ先でコロナ感染者がでて、まさかの閉鎖。
結局なんの相談もできないまま・・・
この先を考えるとつかれがどっと出てきてしまいました。



四月から職場で少し嫌なことが続き、その原因となっているパートのかたと話し合いをしたいと、五月に場をもうけたのですが、自分のことを棚にあげて、私のことを非難してきて、しまいには「私のこと見下してるんでしょ、わかってるから」と言われ、悔しく、また、悲しくて、辛くて。
その人がいるとからだが震えて、涙が止まらなくなって仕事ができなくなってしまいました。
店長やマネージャーに相談しましたが、解決法方はなく、7月で退職する運びとなりました。
六月中旬にもう限界であることを伝えていたので、新しい職探しを始めましたが、なかなか見つからず。
しかし、なんとか一ヶ所雇ってもらえることになり、七月中は勤務なしで、八月から一緒に働きましょうといってくださって、本当に嬉しかったです。
長く続けられるかはまだわかりませんが、それでも、頑張りたいと思います。



そして、母の命日がっもう間近にせまった今日。
気がつけば、こんなにも時間が経っていたんだなと。
今年は本当に色んなことがあって大変だった。
二月に姉がパニック障害と診断されて休職。
姉の職場と私が連絡を取り合ったり、妹の骨折、治療、私自身がパニック発作で仕事もままならなくなったり。
それでもやることはいつも通り変わらなかったり。
負担が多く、大きく、辛い、しんどい、消えてなくなりたいと思ってしまうくらいには追い詰められていました。
誰に送電していいかもわからず、答えもわからず、不安を抱えて過ごす日々。
疲れがピークに達し、七月中旬に職場で私が倒れて動けなくなるという事態に。
過労と睡眠不足でした。
ゆっくりする時間をとることもできないまま、妹の介護は続き、いまいに至ります。
ヘルパーさんや妹の担当医たちからは、頑張りすぎないでねと言われますが、何を頑張っていいのか、何を頑張らなくていいのかがもう私には訳がわからず。
そんな状況下、姉の頼みで、姉のもと職場のパートさんの娘さんの相談相手をすることになって、もうなにも頑張れない!って状況でした。
それでもなんとか踏ん張っています。
職場を変えたことで、緊張はありますがストレスはなく、気分転換にもなってよかったと思います。通勤時間も短縮されて、少しだけど、自分の時間を確保できるようになったので、それもまた嬉しいことです。
小さな幸せはポンと舞い込んでくるもので、これからも頑張れるなぁって思いました。



母が亡くなって三年という時間が経過し、まだまだ寂しく悲しい気持ちがなくなることはありませんが、それでも、いないことを受け入れて、前に進んでいるなとは思います。
人間の記憶は本当に曖昧で、母と過ごした日々も時間と共に薄れていって、今生きている自分達の思いの方が強く、濃くて。
薄情なのかもしれないけど、それでいいんだろうなって思います。
なくなった人との過去を追いかけて、なにもできないままよりも、新しいことにチャレンジして行ける方がいいんじゃないかと。
確かに、なくなったことをいまだに悲しくて、寂しくて、涙が出るときもありますが、それでも、前向きな一歩を踏み出せる方が、母も喜んでくれるのではないかと。



長くなりましたが、最近の私のことでした。
頑張るって疲れるので、少し、楽をすることも覚えていきたいと思います。



ここまで読んでくださりありがとうございました。

聖之丞
皆さんこんばんは、聖之丞です。
日中は暖かい日差しを感じて、春の訪れを感じる今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
世の中はまだまだコロナと戦う日々ではありますが、それでも、なんとか頑張って過ごしていることと思います。



今期のドラマも最終回を迎える時期となりましたね。
私が観ていたのは、「真犯人フラグ」「DCU」「妻、小学生になる」「逃亡医F」でした。
真犯人フラグは終わってしまいましたね。
ご覧だった皆さんは、自分の考察は当てはまっていましたでしょうか?
私はちょいちょい当てはまるところがありましたが、最後まで犯人はわからなかったです。

DCUも妻、小学生になるも来週で最終回ですね。


昨日の妻、小学生になるを、録画して、今日見ていたのですが、どうしても自分の母親と重ねてしまい、とても刺さるドラマでした。


母が亡くなって、二年七ヶ月。
今年で三年になる訳ですが、それでも、ふと一人の時間をもうけると、母のことを思い出しては、泣いてしまいます。
漠然と、母はいなくなったりしないと思っていたからだと思います。
病気と戦いながら、それでも、頑張って、生き続けてくれると思っていたんです。
本人からしたら、いつまでも苦しみ続けろってか?なんて思っているかもしれないですが、それでも、最後に聞いた、「死にたくない」という言葉は、今も胸に刺さったままです。
母は、割りと自分勝手で、それでも心強い味方で、怒りながらも最後は笑ってくれた人でしたから、自分もそうありたいと思いながら、私は母ではないので、できることできないことは、やっぱりあって、未だに葛藤中です。
家族にとって、私はお姉ちゃんであり、妹です。
母になることはできません。
でも、母が生きていたら、きっとこういしていたんじゃないかな、なんて考えながら、事あるごとに、母と自分を結びつけようとしてしまいます。
私は、妹でいいのに。
でも、私はお姉ちゃんだから。
たくさんの気持ちがない交ぜになって、ぐちゃぐちゃになって、それでも、必死に前を向いていこうと思って過ごしています。
頑張ることに疲れてしまうときもありますが、それでも、やっぱり、最後はちゃんと、前を向けるのは、心のどこかで、母が背中を押してくれているからなのかな、なんて、都合のいいことを考えたりもします。


生きているというだけでお金はかかるし、生活していくのにもお金はかかるし、お金を稼ぐには働かないといけないし、働くためには健康でいなくちゃいけないし、考えることは毎日更新されて、どんどん気持ちが圧迫されていってしまう。
どれだけの時間が経っても、きっとそれは変わらないんだろうなとも思います。
それでも、生きてるうちは、頑張って生きなきゃいけないし、投げ出したくても投げ出せないものもあります。
そうして自分の逃げ場を失って、はじめて自分はこんなに疲れてるんだって事に気づくんですよね。


疲れたときは、疲れたよって、言ってもいいんだと思います。
辛いときはちゃんと辛いって言うべきです。
誰かのためにではなく、自分のために、自分を大事にしてあげていかないといけないなと、一人になった時間や、友人との何気ない会話、職場での自分の立ち位置、そういった中から日々を見つめ直してみると、強くそう感じるのです。



最近は泣くことも少なくなってきたと思っていたのですが、ドラマに感化されて号泣したので、改めて、自己を見つめ直してみました。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。



聖之丞