皆さんこんばんは、聖之丞です。
日中は暖かい日差しを感じて、春の訪れを感じる今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
世の中はまだまだコロナと戦う日々ではありますが、それでも、なんとか頑張って過ごしていることと思います。



今期のドラマも最終回を迎える時期となりましたね。
私が観ていたのは、「真犯人フラグ」「DCU」「妻、小学生になる」「逃亡医F」でした。
真犯人フラグは終わってしまいましたね。
ご覧だった皆さんは、自分の考察は当てはまっていましたでしょうか?
私はちょいちょい当てはまるところがありましたが、最後まで犯人はわからなかったです。

DCUも妻、小学生になるも来週で最終回ですね。


昨日の妻、小学生になるを、録画して、今日見ていたのですが、どうしても自分の母親と重ねてしまい、とても刺さるドラマでした。


母が亡くなって、二年七ヶ月。
今年で三年になる訳ですが、それでも、ふと一人の時間をもうけると、母のことを思い出しては、泣いてしまいます。
漠然と、母はいなくなったりしないと思っていたからだと思います。
病気と戦いながら、それでも、頑張って、生き続けてくれると思っていたんです。
本人からしたら、いつまでも苦しみ続けろってか?なんて思っているかもしれないですが、それでも、最後に聞いた、「死にたくない」という言葉は、今も胸に刺さったままです。
母は、割りと自分勝手で、それでも心強い味方で、怒りながらも最後は笑ってくれた人でしたから、自分もそうありたいと思いながら、私は母ではないので、できることできないことは、やっぱりあって、未だに葛藤中です。
家族にとって、私はお姉ちゃんであり、妹です。
母になることはできません。
でも、母が生きていたら、きっとこういしていたんじゃないかな、なんて考えながら、事あるごとに、母と自分を結びつけようとしてしまいます。
私は、妹でいいのに。
でも、私はお姉ちゃんだから。
たくさんの気持ちがない交ぜになって、ぐちゃぐちゃになって、それでも、必死に前を向いていこうと思って過ごしています。
頑張ることに疲れてしまうときもありますが、それでも、やっぱり、最後はちゃんと、前を向けるのは、心のどこかで、母が背中を押してくれているからなのかな、なんて、都合のいいことを考えたりもします。


生きているというだけでお金はかかるし、生活していくのにもお金はかかるし、お金を稼ぐには働かないといけないし、働くためには健康でいなくちゃいけないし、考えることは毎日更新されて、どんどん気持ちが圧迫されていってしまう。
どれだけの時間が経っても、きっとそれは変わらないんだろうなとも思います。
それでも、生きてるうちは、頑張って生きなきゃいけないし、投げ出したくても投げ出せないものもあります。
そうして自分の逃げ場を失って、はじめて自分はこんなに疲れてるんだって事に気づくんですよね。


疲れたときは、疲れたよって、言ってもいいんだと思います。
辛いときはちゃんと辛いって言うべきです。
誰かのためにではなく、自分のために、自分を大事にしてあげていかないといけないなと、一人になった時間や、友人との何気ない会話、職場での自分の立ち位置、そういった中から日々を見つめ直してみると、強くそう感じるのです。



最近は泣くことも少なくなってきたと思っていたのですが、ドラマに感化されて号泣したので、改めて、自己を見つめ直してみました。




ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。



聖之丞