なぜなら、聖書の中の神エホバは狭量で短気で残虐であったからである
そして、ハルマゲドンという最後の審判ではエホバの証人以外のものは皆殺しにするという教理は最初から嫌いだった
そもそもが愛の原則からかけはなれている教理ではないか?
愛の原則は一度は聖書をかじった人間であれば、言わなくてもわかるであろう
(コリント第一13:4~8)
「4 愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,
5 みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず,
6 不義を歓ばないで,真実なことと共に歓びます。
7 すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべての事を希望し,すべての事を忍耐します。
8 愛は決して絶えません。」
「4 愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,
5 みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず,
6 不義を歓ばないで,真実なことと共に歓びます。
7 すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべての事を希望し,すべての事を忍耐します。
8 愛は決して絶えません。」
これは素晴らしい聖句だと思う…
でも、
でも、
でも、これとリンクしないんです。
聖書のエホバという神は…
これに違和感を強く感じるのが大きい
神は愛です
でも、ハルマゲドンでエホバ神はなにをしますか?